フェスを満喫! 教文演劇フェスティバル2018『グランド・チャンピオン・ステージ』 振替公演

地震と停電の影響により振替公演での実施となった経緯はマサコさんの記事を参照していただきたい。

実は9月時点では、私は短編演劇祭しか観劇を予定していなかった。スケジュールを調整しているうちに『グランド〜』のチケットはsold out、豪華ゲストと人気劇団の参加でたいへんな盛り上がりようだったこともあり、「当日券でギリギリに駆け込んで観るのは気ぜわしいしね…」と思ったのだ。

が。
困難を乗り越えて実現にこぎ着けた振替公演(しかも小ホールから大ホールへの会場変更)を、応援したい!
『キンチョーム』の修正版はコントから脱却しているか、気になる!
実は怪獣無法地帯は観たことがない!
yhsの『春よ来いマジで本当に頼むから』(当初上演予定)は観たことがあったけど、『ラッキー・アンハッピー』(振替公演で上演)はまだ!

…というわけで観に行きましたが、いやぁ、行ってよかった! さすがチャンピオンステージ、3作品とも一定以上のクオリティ、かつ全く違うテイストで楽しませてくれた。

 
●星くずロンリネス『キンチョーム』

言葉遊び(と、言っていいのかな)の面白さを楽しむ作品だった。
タイトルから何にひっかけて何を扱っているかは想像がついたのだけど、ポイントは副作用のほうだった。言葉の変化で笑わせる仕掛けが実に見事! 会場は笑いの渦。
けれど2017年の教文短編演劇祭の決勝作品と同様に、ちょっと物足りないなぁ、と感じた。私という観客は、演劇には「笑わせつつもちらりと共感を呼ぶ人間のドラマ」があってほしいと願っているから。今回の改訂版『キンチョーム』も、作演家が見せたいものは「笑い」であり、人物は笑いに奉仕するために設定されているように感じた。
言葉遊びの面白さに加えて、告白しようとする男、告白を待つ女、二人の関係性、あるいはマスターの存在と関係性に、「ああ、こういう人っているよねぇ!」「うんうん、人間って(人生って)こういうことあるよね」と思わせるようなものがチラッと見えれば、「うん、演劇だ」と感じたと思う。
しかし観客(会場)の笑いは正義だ。恐らく私という観客の好みがイレギュラーなのだと思う。

※追記 
例えばヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』。筋の運びとひねりが最大の楽しみどころの作品で、人物は筋に奉仕するために設定されている。が、人物が魅力的というか、「なんかこういう人いるかも」「こういう関係性、あるねぇ」と思わせるところがある。そしてコントっぽい笑いの多い作品でもあるが、大部分が「筋の展開上の必然を持って登場する笑い」だったように感じた。つまり、そのようにズレ、ギャップ、繰り返しが布置されているのだなぁ、と。

 
●劇団怪獣無法地帯+3ペェ団札幌『わらう花』

耽美で妖しいムードが素敵な作品。この団体は殺陣が売りというイメージをなんとなく持っていたのだけど、声の表情の素晴らしさよ! 言葉、衣装、舞台美術や照明の効果もあるが、セリフの抑揚・緩急が雰囲気を作っているように感じた。

私ば舞台上で役者の身体(や演出)がセリフ以上のことを表現していないと感じる作品では、目をつぶっているときがある。そのほうが脚本の意図するものを脳内でイメージ化できるからだ。
『わらう花』は、目を開けていないとつかめない世界が舞台上にあった。耳に麗しいだけではなく目に喜ばしい作品。
…が、なんということでしょう! ほんの一瞬だけ意識がそれたときに人形が倒れてしまい、物語の肝を捉えそこねた。痛恨のミステイク。若い男と人形と少女のラストシーンで、大筋のところは理解できたけれども。
(実は観劇中に「あ、聞き逃した! もう一回言って!!」と思うことはときどきある。観客の集中力を過信せずに、大事なことは二度言っていただけると助かるのだが…)

会場が大ホールに変更になったことで、最も苦労したのはこの団体だったのではと思う。平面に置かれた灯りは見えずともムードのものとして気にならなかったが、衣桁やその周辺の動きが(暗くて)ほとんど見えなかったのは残念(意図したものでしたか?)。

 
●yhs『ラッキー・アンハッピー』

とても面白かった。これこそ「笑わせつつもちらりと共感を呼ぶ(考えさせる)人間(人生)の物語」。
バラエティ番組のレースのようなノリでスタートして、そのまま染色体異常での妊娠という重いテーマに突入していく。が、表現はアニメの描写を身体化したようなテイストで、あくまで明るく軽い。「正しいことをストレートに言うとつまらない」ということを作演家が知っているのだろう。または、南参は含羞の演出家なので(と、私は思っている)、本当に伝えたいことこそ滑稽な表現を選択するのかもしれない。

人間の配置と動きのみでステージの空間を使い切った演出に感服した。上演作品の変更はそのため? 動き続けた役者はたいへんだったろうが、その甲斐のある演出と思う。
(舞台奥への人物配置は構造物がないとさすがに厳しかったが一瞬だったし、平舞台でここまで見せる力は凄いと思った)

小林エレキは、登場したところでもう「あ、上手い!」と思った。出の緊張から、一瞬の表情と動作でユーモラスなキャラを見せ、発声。間が完璧で、ぐっと会場をつかんだ(と思う)。かでるの舞台で彼を観たときにも思ったが、広い舞台で見劣りしないどころか活きる役者だ。そして、ひたすらに走り続けてセリフに乱れのない櫻井保一。この二人が強力に作品を支えていたように感じた。
(櫻井保一はキレ気味の役よりも、今回のようなひたむきなキャラを演じているときのほうが私は好きだ)

 
上演のラストが自分の好みにハマる『ラッキー・アンハッピー』だったことで、ぐっとイベント気分というか祭を観た!という気分が盛り上がった。
そこに加えて、最後のトークがとても良かった。ゲストコメンテーターと上演団体の主宰たち、このメンバーのバランスが絶妙。

札幌での演劇人のトークでは、誰かが支配的になって気分よく聞けなかったり、関係性に寄りかかった内輪ウケのネタが長々と続いて鼻についたり…ということが間々ある。が、今回は、日本演劇界の重鎮である鴻上尚史の前でオレ自慢をしにくい、ということもあったと思うし(笑)、それぞれがウリのネタや得意な領域を持ち出すも、道内知名度(と集客力)、肩書き、経験領域、勢い、伸びしろ、経験年数などなど、互いにキツネと狩人と庄屋のような関係が発生しているので長くはならず(8人が存分に喋るだけの時間がない、というのもある)。出演者は喋り足りなかったと思うが、聞いているほうは観劇の後にコッテリも辛いので、それぞれの背景や関係性のチラ見せで十分満足できた。
鴻上尚史の作品評が聞きたい人もいたかもしれないが、短編演劇祭ではなくチャンピオンステージなのだから、作品にアレコレ突っこむのは野暮ってもの。道外事情も聞けたし、私としては、振替なのに、審査員ではなくコメンテーターなのに、来てくれてありがとう! 満足! という気分だった。
司会も座の流れをきちんと回していたし、上滑りはムードの中で問題なく回収されたと言っていいと思う。

S・Tさんの記事に書かれているようなトラブルがあったりもしたが、全体に、振替公演・大ホールということでこの一回の上演にかけるテンションが非常に高く、多少のことは私は気にならなかった。

ようするにとても楽しめたイベントでした。
 
 
2018年11月30日 教育文化会館大ホールにて観劇

text by 瞑想子

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