作品が舞台上で輝くのは、ほんのひととき。
けれど観た人の心に強く長く刻まれる光があります。
2017年度の観劇を振り返り、記憶に残った1〜3作品を選んで語ってもらいました。
byうめ
うめの選んだ1作品
マームとジプシー『あっこのはなし』 2017年8月、札幌市教育文化会館
昨年度、〈記憶に残った演劇〉と言われてすぐに思いついたのは、マームとジプシー『あっこのはなし』。
初めて観るマームとジプシーということで、気持ちが高揚しながら観た事を差し引いても、とても記憶に残っている。なんであんなに印象的だったのか? それは多分、主人公と同じ30代の自分の環境とか心情にピタッと共感できる作品だったからだと思う。
10代の時に夢中になって読んだ本が、いま読み返すと(面白いけど)そんなに入り込めない…という事があるように、その年代だからこそ特にクル作品というのがあると思う。で、まさに30代の私にとって「あれ、これ自分のことじゃない?」と錯覚するくらい印象に残る話だった。同じ30代でも、結婚して家庭に入った人や、上昇志向の女性には共感できる部分が少ないかもしれない。でも、通過儀礼を経験せずに年中行事ばかり。ある意味平穏、悪く言えば停滞。そんな人達(自分も含めてね)には、特に響くものがある話だったように感じる。多分10代・20代の頃に観ていたら、なんかダラダラした話だなと感じて終わると思うけど(笑)。
40代になって観たときは、どう感じるかな。そうそう、こんな気持ちだった、と懐かしく思い出せる作品になっていれば幸いですが。
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九十八坊(orb)の選んだ3作品
1. きっとろんどん『発光体』 2017年4月、BLOCH
「オカルト系サイエンスフィクション風サイココメディ」 と銘打った今作は井上版『IT』とでも云おうか。期間中に観た若手オリジナル公演の中では出色の作品。SFやサスペンス映画等を下敷きにした精度の高いあて書きに、個性の強い所属役者とレギュラーに近い客演陣が応える。旧友の姿をした侵略者の不気味さを身体パフォーマンス(ダンス)だけで表現しきるリンノスケさんや、等身大の主役・山科さんのセリフのトーンコントロールに感心。落とし処(エンディング)のモノローグ(山科)がノスタルジックで記憶に残った。
2. 劇団fireworks『沙羅双樹の花の色』 2017年9月、コンカリーニョ
木曽義仲陣営を主役に、義経・弁慶・静御前を敵方に配した今作は予想を上回るエンタメ性の高い歴史ファンタジーだった。儚さとカタルシス。こういう作品を札幌発で魅せてくれるのはタニケンさんくらいだと思っていた。端役までキャスト皆がしっかりと人物を背負って立っているからこそ、魅力ある舞台となっていた。作・演の米沢さん独特のふんわりとした感性を作品にきちんと反映し、さらに自らが主役(巴御前)として体現。型通りではない殺陣も印象的。
3. 劇団coyote『路上ヨリ愛ヲ込メテ』 2017年11月、BLOCH
常に現在進行形で挑み続ける亀井さんの最新作。表現者として心身を研ぎ澄ませ、作風は一見and時代をも彷彿とさせるが決して懐古や停滞ではない。抜き身のナイフをかざすのではなく、熱情を湛えながらも穏やかな愛を語る幅も見せる。ヒロインの脇田さんが、脇田さんとして亀井脚本を体現する。ロードムービーのようなエンディングの余韻は映像作品制作を経ての進化か。広く高評価を得て演劇シーズンでの再演を果たした『愛の顛末 boys be Sid and Nancy』より僕の中では上。こちらが最新作なので当然かも知れないが、それは必ずしも容易なことではない。TGR札幌劇場祭に毎回真正面から挑んでくる亀井さんだが、今作がファイナルに残らなかったのが色々な意味でとても残念だった。
※「記憶に残った作品」3作。期間中に観た作品すべてに順位をつけたのではなく、直感的に選びました。どれもリアルタイムで感想を投稿できなかった作品ですが、こうして記録にも残せる機会を得たことに感謝します。
小針幸弘の選んだ3作品
1.遊戯祭17<谷川俊太郎と僕>『平木トメ子の秘密のかいかん』 2017年4月、コンカリーニョ
大人と子どもの配役を敢えて逆にしたように見えたこと。辛い現実から逃げて子どもに帰りたい大人と、背伸びして早く大人になりたい子どもというのを想像しました。そしてクライマックスでの安田さんと井上さんのやりとり。弱音をはく大人と、それを受け止め励ます子どもという、本来あるべきとされる姿とは逆転したような場面だけど、すごく心に響いた。前田透演出×米沢春花脚本。
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2.弦巻楽団『ナイトスイミング』 2017年7月、サンピアザ劇場
前回観た時は、その年にあったセウォル号事件を連想してしまったけど、今回はその時の対応が非難されていた朴槿恵大統領が罷免された年。まあ関係ないんだろうけど、妙なつながりだなと勝手に感じています。凍った時間、過去の仲間からの問いかけ、仲間の死とそれを忘れていく世間など色々と考えたくなる要素があり、終演後に何か話したくなるお芝居。
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3.イレブンナイン『サクラダファミリー』 2018年1月、コンカリーニョ
全体を通して何度観ても面白かった。笑いという意味でも、感動という意味でも。大和田さん・廣瀬さんのコンビの爆発力がすごい。バイクに乗った感じで「兄の婚約者」に迫る場面では、二人の挨拶の異様さが効いていたのか、宮田さんのヘコヘコした感じの特に笑いを取りにいっているとは思えない挨拶がオチっぽく見えて、妙に面白く感じました。
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島崎町の選んだ3作品
1.イレブンナイン『あっちこっち佐藤さん』 2017年8月、かでる2・7
こんなに劇場が笑っている作品を観たことがない。すさまじい笑いの渦、大波。おぼれながら笑って楽しんでる感覚。はっきり言って異常なくらいだったと記憶している。役者・納谷真大の、エネルギー飽和状態の熱演もすごかった。
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2.トランク機械シアター『ねじまきロボットα~ともだちのこえ~』 2017年11月、こぐま座
子ども向け人形劇という枠におさまらない良作(そもそもそんな枠は不要だろう)。ファンタジーの物語に現代への批評もふくまれて、グサッと刺さった。1体1体の人形も個性的で、細部まで手がこみ、色彩もすばらしかった。
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3.余市紅志高校演劇部『おにぎり』 2018年1月、かでる2・7
4名という少ないキャスト、1時間という上演時間、なのに充実感があった。前半の笑いパート、後半のシリアスパートという構成もうまくさばけており、最後はしっかりテーマに落とした。主演の吉田侑樹(当時高校3年生)の演技も深く記憶に残った。
しのぴーの選んだ3作品
昨年度は、札幌演劇シーズン-2015冬-から引き続き「ゲキカン!」を担当させてもらい、また札幌劇場祭TGRでも一昨年に続いて大賞審査員をお引き受けしたこともあって、その他の観劇と合わせてかなりの数のお芝居を観た「豊作年」でした。個人的に印象に残った作品を3作品あげておきたいと思います。
1. 劇団竹竹(チュクチュク)『マクベス』 2017年11月、パトス
TGR2017で日韓演劇交流事業の一環としてソウルから来札した作品です。一昨年は、文化芸術都市として知られる光州から老舗劇団のカチノルが『お伽の棺』を上演し、TGR大賞作品賞を受賞しました。『マクベス』はTGR招待作品だったのですが、大賞にはエントリーしていませんでした。個人的には、エントリーしていたら、ぶっちぎりだっただろうと思います。個人的には2017年のナンバーワンでした。
数あるシェークスピア劇の中でも『マクベス』が一際魅力的な理由は、マクベス将軍が主君であるダンカン王を裏切ってキング・スレーヤー(王殺し)になったばかりか、猜疑心の余り親友であるバンクォーまで殺害してのけるのは、決してバーナムの森に棲む魔女たちの囁きに惑わされたわけでも、妻に唆されたからでもないということだと思います。マクベスは、手を血で汚すことを自ら選んだのです。そして選び取った運命に呪われて狂っていくさまが、悪しきものへ抗いようのない人間の本質的な脆さや弱さとして描かれることに劇的な醍醐味があるのでしょう。チュクチュクの『マクベス』は、マクベス将軍を演じたソン・ホンイル、マクベス夫人のイ・ジャギョンら俳優の優れた身体性が圧倒的でした。なにより、チュクチュクを主宰するキム・ナギョンの「これぞ演出!」という舞台を成立させているすべての要素への優れた解釈と極めて美しいプレゼンテーションで、キムのいう「荒野の屠殺場」で身を滅ぼすアジアのマクベスを提示して魅せました。一点、急ごしらえで用意したであろうパトスは、芝居のサイズに合っていなかったことが惜しまれました。ぜひ札幌の演劇人たちによって、このチュクチュク版『マクベス』が札幌で再演されることを強く希望したいと思います。
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2. マームとジプシー『ΛΛΛかえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──』 2017年8月、札幌市教育文化会館
今一番演劇界で注目を集める劇作家・演出家の一人、藤田貴大が主宰するマームとジプシー。去年の札幌国際芸術祭特別企画として、ようやく彼らの結成10周年ツアーでの札幌初上演が実現しました。藤田の故郷、伊達市を想起させる海沿いの街に暮らす姉、弟、妹の物語。人物の出入りの時間の経過はあえて曖昧で、父の死を電話で知るとか、実家が区画整理でなくなっていたという「点」以外は、これといった筋らしい展開もありません。台詞に感情の抑揚や色をつけない分、役者の発する言葉には必然的ともいえる精緻さがあり、立ち位置やしゃべりだしの微かな身体の向きにいたるまでのディテールが非常にナラティブで、シンプルな美術装置とも相まって、家族にまつわる痛みや喪失という記憶の底を静かに揺さぶられました。
藤田は台詞を本として書かず、役者に口立てで言葉を伝えていく作業の中で、いろいろなクリエイティブが決まっていく独特の創作スタイルだそうです。演劇では再現性というものが一切ありません。そこに立ち会う観客が違うことを含め、作家も俳優も「永遠に再演する」ことを繰り返しているのです。藤田が「リフレイン」と呼ぶ、同じシークエンスを別の角度から映像的ともいえる手法で見せる演出術や、モノローグと台詞のやりとりがシームレスに混在していることも魅力的でした。
「(生まれた)家を出る、あるいはそこへ戻っていく」というのが、藤田の一つのモチーフなのでしょう。タイトルにある『ΛΛΛ』は、ラムダラムダラムダと読めますが、壊されてなくなってしまったという藤田の祖母の家の屋根を表している表象のようにも感じます。台詞というよりも「言葉」(多分、藤田は台詞とは言わないと思います)の持つ複雑な意味性へのフォーカスと、印象的な音楽、抽象性の高い美術、美しい衣装とが極めて独創的にシンクロする様は、舞台が総合芸術であることを久々に思い出させてくれました。
「敢えて札幌を避けていた」と話していた藤田。この公演を機会に、ぜひツアーに札幌を組み込んで欲しいと思いました。多分、藤田は自分が生み出す言葉だけを信じていて、俳優はそれを舞台化するための駒というか、言葉を発する生きたチューブのように考えているのでしょう。その極めて明快な「肥大した僕」が、なぜより大きな普遍にたどりつくのか、その作家性に強く魅かれました。
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3. proto Paspoor『ある映画の話』 2017年12月、シアターZOO
プロト・パスプア、と読むそうです。クラアク芸術堂を主宰する劇作家・演出家の小佐部明広のユニットです。クラアク芸術堂のホームページでは、「純文学と身体と声をキーワードに舞台表現の可能性を模索し追求する実験グループ」とあります。2016年末に解散した劇団アトリエ時代から、小佐部は札幌演劇界の中で独特の立ち位置と作風で評価されてきましたが、今やりたいことを純化したような作品でした。この札幌観劇人の語り場の感想でも書いたのですが、『ある映画の話』はフランソワ・トリュフォーの「ある映画の物語」を下敷きにした物語だろうと思います。「ある映画の物語」は、撮影現場で起こった話、起こらなかった話を監督自らが語るというヌーベルバーグ時代の名作です。台詞が徐々に熱量を帯びてうねっていくのが良かったのですが、敢えて失敗することを確かめるような挑戦的な演出が魅力的でした。正直興行的な成功は見込めない作品だと思います。でも、なかなか札幌演劇界には珍しいストレートな現代劇で、小佐部らしいダークワールドが最後は広がります。うまく理解できたとは言えないし、それを感想として言葉で書くことも難しいのですが、芝居としてとても感じたのです。作家が発見した新しい「足場」のようなものを。飽くなき挑戦心を観ることができたのは収穫でした。3作品のうち2作は道外勢の作品でしたが、道内勢を代表してこの1作を挙げておきたいと思います。
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中脇まりやの選んだ3作品
1. 近代文学演舞『地獄変』 2017年7月、観音寺
櫻井幸絵(劇団千年王國)と平原慎太郎(OrganWorks)の共同演出作品。既存の小説・お寺というシチュエーション・コンテンポラリーダンスという異例な組み合わせが想像以上のものを見せてくれた。夏の暑さも相まって、あそこに作り出された空間を今すぐにでも思い出すことができる。
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2. intro『わたし-THE CASSETTE TAPE GIRLS DIARY-』 2017年8月、コンカリーニョ
太宰治作品のオマージュだと知ってオリジナルを読んでみて、こんな作品が太宰にはあったのかと驚いたものだった。”わたし”の日々繰り返される日常。多面的な”わたし”に自分を重ねたりして観た。人数の多さが迫力を増していた。
3. ニッポンの河川 『大地をつかむ両足と物語』 2018年11月、コンカリーニョ
こんなミニマムな演劇があるのかと驚いた。観ていて非常にわくわくした。カセットテープの音質はあまり劇場では聴けない。カセットの入れ替えで床を滑るカセットテープの様さえ楽しかった。もう一度、今度は野外で見たい。
※昨年度はNIN企画の”靴”も忘れられない作品になった。
マームとジプシー『みえるわ』はあたらしい表現を”目撃”した気分になった。川上未映子さんの文学にも驚きがあった。ハムプロジェクト『象に釘』はとてもすきなお話だった。違うキャストでまた観たい。
マサコさんの選んだ3作品
道外、道内から1作品ずつ。公演名は二文字なのは偶然です。
●道外作品
東京デスロック『再生』 2017年9月~10月、横浜・STスポット
集団自殺のために集まった人々が、大音量で流れるJポップに合わせて歌い踊って倒れてゆく…のを、3回繰り返すだけの舞台。登場人物の背景やなぜ自殺を決心したのかは一つも語られないけれど、否応にも「生きていくよりも死んだ方がマシ」と突きつけられる。一方で、役者の体力とモチベーションがすごい。札幌の劇団でやれるのなら、年齢層を考えてyhsか、客演入れてクラアクかボイジャーかな。
●道内作品
BLOCH PRESENTS 2018『電王』 2018年2月、札幌・BLOCH
作演出の井上悠介(きっとろんどん)の将棋LOVEや、本作でやりたいことはよく分かった。が、「何も考えずに観てほしい」という部分では物足りない。そこに到達するには、実際の電王戦を模した戦いや人物の心の動きなど、もう少し丁寧に落とし込むのが必要なのでは。個人的には、井上くんは「ギャグとか言わせて笑いを取る」という本や演出は必要ないと思う。さらに個人的には、アウチとミツルギの名前は「逆転裁判」からなんだろうな、と嬉しくなった。
瞑想子の選んだ3作品
1. 横浜ボートシアター『にごりえ』 2017年9月、レッドベリースタジオ
語り作品だが朗読とは全く違う。一語一語に表情があり、艶があり、ドラマティック。語り手の吉岡紗矢は娘義太夫ほか日本伝統の語り芸を何年も修業したとのこと。全身から発せられているかのような声が、主語が曖昧かつ滔々とつながっていく樋口一葉の原文を語りわけ、黙読では掴みがたい情景情感を立ち上げていく。すごい芸を観た(聞いた)満足感。
2. ネビル・トランター『Mathilde(マチルダ)』 2017年7月、やまびこ座
等身大の人形を用い、人間軽視の介護施設運営と老いや障がいの惨めさ、寝たきりの老女の中に燃える命とその記憶にある生の美しさ哀しさ、死の救いとその他者にとっての軽さなどを描いた作品。優しい祝福として訪れる死神の表現に心が揺さぶられた。人間が演じることでは描き難い世界。上演時間は50分だが、長尺作品よりも強く印象に残る。やまびこ座海外特別公演作品。
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3. 劇団清水企画『昼間談義 公園の柵、ぷらぷらと、花粉症の鳥、』 2017年7月、シアターZOO
ポストドラマ演劇を初めてみたこともあって、鮮烈だった。たぶん戯曲を読んだだけでは掴めない抽象的・幻想的なイメージが立ち上がっていた。物語をはぐらかし裏切って展開する世界の面白さ、声のリズムとトーンの美しさが記憶に残る。
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※マームとジプシー 10th Anniversary Tour 札幌公演の4作品も、その圧倒的な世界観と重さとで記憶に残る。が、マーム作品としては、私の中では2014年に伊達市で上演された『ΛΛΛ〜』がNO.1だ。
札幌作品としては弦巻楽団 × 信山プロデュース『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』も捨てがたかった。道外ツアー前の1回きりの札幌公演とあって、いい緊張感での上演だった。信山プロデューサーに感謝。
やすみんの選んだ3作品
1. シアターコクーン・オンレパートリー2017『欲望という名の電車』 2017年12月、シアターコクーン
理由ぐだぐだ長いので別途。
2. マム&ジプシー 『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』 2017年8月、札幌教育文化会館
藤田貴大氏の詩の中にとぷんと浸って彷徨っているような素敵な時間。劇全体が詩のような、劇を通して詩を体感する新鮮な時間だった。記憶に残るのは、「そっか」という一言のセリフ。複雑な心情が、「そっか」に凝縮された。「そっか」は優しい。「そっか」は哀しい。「そっか」は・・・。泣けた。
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3. ニッポンの河川 『大地をつかむ両足と物語』 2017年11月、コンカリーニョ
「役者が照明も小道具も全部やります、全天候どこでも演ります」、というガッツが記憶に残ることは確か。しかしそれだけにあらず。一見ハチャメチャだが、実は文章力ある脚本の面白さと、ブレない俳優陣の集中力あればこその唸らせる内容。起業家精神あふれる劇団。楽しい驚きだった。
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text by 札幌観劇人