スッキリ、ソリッドかつ 札幌座『亀、もしくは…。』

斎藤歩作品のすぐれているところは、フォルムの整い方だ。

なんて書くと、さぞかしたくさん観てるんだろうな、と思われるかもしれないけど、全然、そんなに。4~5作くらい?

しかしそのどれもが整っていた。『玉蜀黍の焼くる匂ひよ』、『冬のバイエル』、『霜月小夜曲』、そして、『亀、もしくは・・・。』。

たいてい物語を書く人は、何かの熱情、突き動かされた衝動があって書く。熱量の差はあるとしても、やっぱり自分の中のなにかを燃やして書くはずだ。そうなると、書きたいことや個人の情念みたいなものが作品を歪ませる。その歪みが個性となって評価されることもあれば、いびつで不明瞭な部分として嫌がられることもある。

ところが斎藤歩の作品には歪みがない。大変整ってる。スッキリして無駄がない。いっけん無駄のような箇所も、けっして暴走することなく、いつの間にか全体の中に収まっている。

なにに似てるんだろうな、と考えたとき、僕は東欧の小説なんかを思い出す。スタニスワフ・レム、スワヴォーミル・ムロージェク、フランツ・カフカ……。(そして『亀~』の原作もハンガリーだ)

どれもスッキリしてない! いびつだろ! と思われるかもしれないけど、無駄な素材のなさ、全体としてのフォルムの整い方は、やっぱりスッキリしていると思うし、なにより、そうだ、湿度がない。東欧作品も斎藤作品も湿度を感じさせない。人間を描いてるはずなのに、感情があらわになっているのに、そこにはジメジメしたものはない。

そのスッキリ感がいいんだ。湿度のなさはドラマから生理的な嫌悪感を排除する。さらに斎藤歩の作品では、フォルムの整いがストーリーの明瞭さを生んでいる。だから多くの人に支持されるんだろう。

僕が最初に『亀~』を観たのは2005年だと思う。その頃はまだ東欧感というか、社会主義的ソリッド感みたいなものを感じたけれど、あれから10年以上たち、様々な公演を重ねた本作は、温かみすら感じる不思議な作品になっていた。

 

公演場所:札幌市教育文化会館 小ホール

公演期間:2016年2月4日~2月11日

初出:演劇シーズン2016冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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