チェーホフが苦手なすべての人に 『北緯43°のワーニャ』

チェーホフが苦手なみなさん、こんにちは。僕もみなさんと同じく、このロシアの有名劇作家兼小説家をさけてきた人間です。

かつて『三人姉妹』だか『桜の園』だか(それすら区別できない)を戯曲で読んでまったく理解できず、というか人物の違いすらも判別つかず、とにかく文字を追うしかなに状況に追いこまれ、うすい本のはずなのに何日も格闘したあげく、読み終えたというより最後のページまでめくっただけといった方が正しい無残な経験をした過去があって、以来チェーホフはその名を聞いただけで負い目を感じ、面白さを感じらるわけがないと、さけて通ってきました。

しかし札幌座が『ワーニャ伯父さん』を『北緯43°のワーニャ』として脚色、演劇シーズンで公演することになり、ゲキカン!を書く役目を仰せつかってる僕は、やむなく観るに至ったわけですなのですが……。

しかし僕は予習をしました。空手で観に行っては以前と同じように無残な敗北を喫することになるかもしれない。なので光文社古典新訳文庫から出ている『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』を読みました。

やっぱり、やっぱりわかりづらい。過去の嫌な記憶と同様だ。誰が誰だかわからずに、教授、教授の妻、先妻の娘、教授の先生の母、その息子、なる記号的登場人物表に「それ見たことか!」と、げんなりしたのですが、しかし『ワーニャ伯父さん』は最後まで読んでみると、なんとか世界が見えてくるのです。ワーニャという農夫を通して、境遇や、搾取してきた老教授への感情やその暴発など、ストーリーはなんとか追うことができ、ラストに語られるセリフから、テーマ性もおぼろげながらつかむことができました。

これはいける、いけるのでは、と思いました。(ちなみに『三人姉妹』は以前と同じく絶望的な敗北で、3人の姉妹の区別すらつかず、結局1つの人格として読みました)。

こういう過程をへて、観ました、『北緯43°のワーニャ』。これがですね、観れるんですよ、全然観れる。いや、こんなことを書くと関係者の方々に当たり前だろとか失礼だろとか言われそうですが、ちゃんとお芝居としてチェーホフを観られることのすごさは、一度挫折を経験したものからするとかなり大きいわけです。

予習で戯曲を読んだからではなく、舞台化されたものを観た、というのがかなり大きい。登場人物表に「マリヤ・ワシーリエヴナ(ヴォイニツカヤ)……三等官の未亡人。教授の先生の母」と書いててもいったいなんのことなのかさっぱりわからないけど、舞台上に品のある老齢の女性が出てきたら、名前なんかわからなくてもどんな人かはよくわかる。

そう、結局チェーホフは戯曲で読んじゃダメなんじゃないか。舞台で観られるために書いたのであって(そりゃそうだ)、そこでくじけちゃいけなかった。あるいは、舞台で観たことがあってそれでも苦手だという人は、作品の中にとっかかりがなくて、とにかく悩み、うじうじして、なんともカタルシスのない劇を最後まで観させられたからじゃないだろうか。

しかし札幌座のワーニャはそうじゃなかった。はっきり言って明るい(これ重要)、笑える。個性的な役者たちが登場人物の輪郭をクッキリさせて、とても観やすく、愛すべきキャラたちとなっている。パンフによると、2006年の初演では役者が楽器を弾いて音楽劇の要素もあったらしいが、今回は、すがの公が演じる落ちぶれた地主がギターを弾くだけだ。しかしそれがいい。哀愁のあるムードを生んで、ラスト、雪の降る夜に語られる最後のセリフと共に奏でられたとき、僕はグッと目頭が熱くなった。

ちなみにそのテレーギンという落ちぶれた地主は、脚本上ではほとんど意味をなさないような、なんか、そこにいる脇役的な存在なのだけど(僕はそういう風にしか読めないダメなチェーホフ読み)、いざ舞台として立体的に立ちあがったときに、ワーニャやソーニャ(姪)たちメインの人物の外側を作り出す、非常に貴重な存在となっている。ストーリーをアシストし、進めていき、時に笑いを生み、時に悲しみさえも作り出す。テレーギンだけじゃない、年老いた乳母マレーナ、下男、ワーニャの母たちが、物語の輪郭を作っていることに気づかされる。

これらの人物が物語を支え、喜劇とも悲劇とも言える作品世界を作り出していたんだ。そういう風にチェーホフの世界を舞台上に存在させることに成功した斎藤歩の演出(や役者陣、札幌座のスタッフワーク)は、演劇を学ぶ人たちには最良の勉強材料になると思う。

原作では秋だった季節を冬に変え、真冬の札幌(北緯43°)で上演されるこの舞台。雪に埋もれた街を歩き、シアターZOOの長い階段を下へ降りていけば、深い穴の底のような舞台にたどりつく。

前述したラストシーン。ギターの音色と共に、高子未来演じるソーニャが長い長いセリフを語る。すばらしい。感情を排したような語り口なのに、だんだん、すき間からボロボロっと気持ちがこぼれ落ちるような。字義通り受けとっていいのか、その奥になにかがあるのか、あるいはただそこにあらわれた出来事を見つめ、耳を傾けるしかないのか。

照明が落ちると、最後に、本当の夜が訪れる。美しく、悲しい。ぜひそれを、観てほしい。この舞台を、チェーホフが苦手なすべての人に観てほしい。

 

公演場所:シアターZOO

公演期間:2017年2月4日~2月12日

初出:札幌演劇シーズン2017冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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