人が生きる意味 yhs『忘れたいのに思い出せない』

100歳になる僕の祖父が、こんな風になるまで生きるもんじゃないと言っていた。

言葉の通りに受けとっていいのか、それとももっと深い意味があるのか。たしかに、忘れることが多くなり、体も自分の意思を裏切りつづける。本人にとってつらいことが多いのだろう。だけど僕は祖父に生きてほしいと思っている。

yhs『忘れたいのに思い出せない』は、寝たきりの老いた女性・センリと、その周囲を文字通り行き交う人々の物語だ。いくつかのシーンが描かれていくたびに、センリはどんどん老いていく。はじめはまだまだしゃべれたのに、声を出すのもつらそうになり、言葉もだんだん出なくなる。

ホームヘルパーの若い男・ゲンプが、こんなになるまで生きたくないと、寝ているセンリを前にして言う。残酷な言葉だけど、僕も昔、そんなことを思ったことがある。

もしかしたら多くの人が、若いとき、一度は思うことなのかもしれない。だけど時間はすべての人に平等で、僕もあなたも確実に老化させていく。センリと同じように、あるいは僕の祖父と同じように。

ただ中には、老いの苦しさにいたらないまま死んでいく人もいる。病気であったり自殺であったり。その人たちはどうなんだろう、しあわせなんだろうか。物事を忘れることなく体が不自由になることもなく、若い人から、こんなになるまで生きたくないと言われることなく、命が終わる。

僕が祖父に生きていてほしいと思うのは、死を知るつらさを先延ばしにしたいという感情だけではないと、いまこの文章を書きながら思っている。生きていてくれることのありがたさ、いま目の前にいるわけではないけれど、存在してくれている、ただそれだけでも喜びだと思う。

『忘れたいのに~』もまた、たしかにその感情を描いていた。センリが老いて寝たきりになって、それが理由で問題が起きる。仲の悪い父と娘はさらに関係を悪化させる。お金の問題が生々しく語られる、介護の現場で働く若者は、ゆがんだ内面をさらにゆがませる(介護職員だからゆがんでいるという意味ではない)。

しかし舞台の中央にずっと寝ているセンリがただ存在しているだけで、意味がある。センリがそこで生きているだけで喜びがあるのだと、舞台を観終わったすべての人が思うだろう。老いてなお、人が生きる意味を描いた力作だ。

最後に役者について。今回どの役者もよかった(これは演出の力も大きい)。

センリ・福地美乃、ガンマ・長流三平、トオル・曽我夕子の家族の組み合わせは完璧で、なんだかずっと観ていられそうな、カッチリハマったパーツだった(伴侶の欠けた3人が、もしかしたらもう1人の存在によってつながれていくのではないかと予感させる部分の脚本もうまかった)。

わりと長尺だし内容的に息苦しさもある作品だけど、コメディ班?のカヤモリ・能登英輔、チヨ・最上怜香によって、舞台上が洗い流されてリフレッシュされ、短時間で難しい役だったマサヒコ・小林エレキの存在感もさすがだった。

しかしなにより特筆すべきはホームヘルパーの3人、ゲンプ・櫻井保一、マスト・柴野嵩大、タマミ・紀戸ルイ(宮本暁世とのダブルキャスト)だ。

櫻井はゆがんでとらえどころのない若者像をこれでもかと演じた(観客はムカついただろう。だとしたら彼の勝ちだ)。

柴野はそれとは違うゆがみ方の若者で、なんかリアルすぎて嫌だ(褒め言葉)。

2人とは対照的に、介護の現場の救いというか、まともな面を見せてくれた紀戸は、無垢のなかに無邪気さを出し好演だった(手塚治虫のキャラみたいだった)。

『忘れたいのに~』がもっと老いに焦点をあて、もっと家族のありさまを描くなら、3人がかかわってくるシーンはいまより短くていいはずだろう。

しかし作・演出の南参は、思いのほか上手く書けてしまったのではないか。彼はゆがんだ若さを書くのが上手い。ちゃんと客をムカつかせる。今回(も)それに成功してしまったがために、3人は予想以上に輝いたのだろう。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2017年7月22日~2月29日

初出:札幌演劇シーズン2017夏「ゲキカン!」

text by 島崎町

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。