虚構から現実を引っ張り出す力 yhs『忘れたいのに思い出せない』

札幌演劇シーズン2017-夏-のトップバッターにふさわしい熱量に満ちた力作でした。作・演出の南参の札幌の演劇シーンにおける立ち位置とかに関係なく、今、札幌で観られるオリジナル脚本作のトップレベルを示す一本といえるでしょう。シーズンは再演の演目でラインナップされていますが、初演は2010年。実は初演では本を提供して、演出は別の手に委ねています。きっと手応えがあったのでしょう、翌2011年の再演時は作・演出となったようです(劇場はZOO)。それはさておき、シーズンのキックオフで、南参は「自分の身近な人が認知症になった時期と自分に子どもできたことが重なって生まれたお芝居」と話していました。

認知症の進む祖母とシングルマザーになろうとしている孫娘をめぐる家族の物語。とわかりやすく書くと、そんなお話ですが、登場する人物に真っ当な人がいません。舞台の真ん中に居座って劇の中の時間軸で、病が急速に進行して自我の境がなくなっていくセンリ(福地美乃)が、唯一善なる存在でしょう。センリの孫娘トオル(曽我夕子)はおそらく30才前後だと思うのですが、別れた男の子どもを身ごもっていることが判り、センリを挟んで父(長流3平)に、「わたし、産みますから」と告げる劇冒頭のプロローグ。バイトもやめたばかりだというトオルの決心は、ある種、勢いで宣言しているのであってなんの根拠もありません。ましてや、非嫡出子を生んで育てていくという、気の遠くなるような困難な未来を抱えることになる自分と産まれてくる我が子への想像力が欠如しています。真っ当ではないと前述したのは、こういうどこかにいる僕たちの等身大という現実の現し身としてという意味です。さりげない会話のやり取りに、この家族の背景がよく書き込まれていて、このシーンですっかり南参のしかけた罠にスッと引き込まれました。ゆっくりと消えていくいのちとこれから産まれてくるいのち。主題もはっきり提示されていて、「この芝居は勝ったな」と僕は一人得心していました。

役所のケアマネジャー、カヤモリ(能登英輔)、派遣された事業所のホームヘルパーのタマミ(宮本暁世、キャストAでは紀戸ルイ)とその見習いのゲンブ(櫻井保一)とマスト(柴野嵩大)、私設の特別養護老人施設の所長、チヨ(最上怜香)と、センリの亡くなった夫、マサヒコ(小林エレキ)以外は、介護にかかわる人々が登場します。それぞれに、個性的な役柄が与えられていて、総じて「世間」という僕たちの総体のように思えます。トオルの別れた男で、実は子どもの父親でもあるゲンブの放つ、本音とも鬱屈ともとれる物言いや態度のロクデナシ加減はその象徴のようです。こいつに関しては、舞台まで出ていって殴ってやりたい衝動にかられました。櫻井、さすが。

遠く離れた両親の介護や、妻の両親のそれを体験している僕としては、こんなに綺麗事ではないと思いながら芝居を観ていたのですが、実際、介護の質は割と属人に左右されていて、極端にいえばケアマネジャーさんの能力や情熱、人柄次第ということや、介護事業者の笑っちゃうくらいなピンキリぶり。ヘルパーさんが財布を盗んだとかの悲しいエピソード、結局はお金だよね、という施設でのサービス。数年前、ケアマネさんの案内で父を連れて施設を5か所くらい回ったのですが、最後に父が目に一杯涙を浮かべていた理由は息子としても号泣したい思いでした。

劇中で放っておかれるエピソード(例えば、タマミとゲンブの関係、ゲンブは最後どうなったのか、何事もなかったかのようにマストが終幕に登場するとか)はあるのですが、物語の語る力と、なんといってもセンリ役の福地美乃の熱演で、約2時間の劇は最後まで観客を手放しません。観客には見えない時間軸をより老いて、せん妄状態となり、最後は自分さえも分からなくなる役の変容を、南参が書いた台詞術を実に誠実に、そして精緻にこなして魅せました。反復される同じ物言いは、観客は時折前後の文脈から読み取る場面もあったかと思いますが、センリの失われていく「人であること」のような姿に釘付けになりました。だからこそ、最終幕の修羅場での、センリの隠していた預金通帳と夢の中でマサヒコから渡された(劇ではマストが返す)結婚指輪の回収は、実に劇的でした。

観客のイマジナリーラインを見事に突破して、南参が提示した含蓄深いエピローグが秀逸です。いのちの受け渡しとでもいえばいいのでしょうか。決して何も解決していないし、ハッピーエンドでもありません。トオルの産んだまだ命名もしてもらえていない幼子が劇的偶然でセンリの腕に抱かれる。他の人物は、すでにハケています。人はこうして何気ない、忘れようとしても思い出せなくらいの、嫌になるくらいの日常を積み重ねて、命尽きるまで生きるのです。トオルとセンリの最後のセリフ。主題の先へ物語を昇華させる味わいがありました。生きるって、そういうリアリティだよなとハッとして、観る側に何か温かいものを残す溶暗がとても印象的でした。福地は産休、育休を経験し、3年ぶりの舞台だそうです。初演からセンリ役なので、この役は彼女にしかできません。舞台復帰には迷いもあったかもしれないと勝手に想像するのですが、実に素晴らしい演技でした。エピローグが、この芝居の白眉になったのも、女優が母になったせいかもしれませんね。

演劇には、劇という虚構から現実を観客という白日の下に引き出す大きな力があります。僕たちの社会がと大きく拳を振り上げるより前に、みんながそろそろ気がつき始めている「老いることと家族」というリアルに深く想像力を馳せてみせる見事な劇でした。主題に寄り添った音楽(川西敦子)、現実とセンリの心の見た目を重ねた舞台美術(高村由紀子)にも大きな拍手を送りたいと思います。

今シーズン、豊作の予感?

追伸。いいお芝居だったなぁ、と小屋を出るとき南参がいて、なんか感想を伝えようと思ったのですが、いい言葉が見つからず「脚本買います」と、実際買いました。劇中は気がつかなかったのですが、タイトルの『忘れたいのに思い出せない』の台詞って、こういう文脈で出てきたんだなぁと改めて思いを深くしました。

 

7/27(木)  コンカリーニョ

 

 

 

 

 

 

 

text by しのぴー

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