演劇にストーリーは必要なのか intro『わたし -THE CASSETTE TAPE GIRLS DIARY-』

演劇にストーリーは必要なのか。

という疑問はいつも持ってる。多くの演劇にストーリーがあるのはそれなりに理由があるからだろう。例えば1時間半から2時間くらい人を黙らせイスに座らせつづけるのはけっこう至難の業だ。

真っ青な画面が目の前に映ってるだけだと、寝てしまうか立ちあがってどこかへ行ってしまうだろうけど、ストーリーがあれば多少は観ていられるようになるし、面白ければ2時間でも3時間でも集中できて、そのうちつづきはないのかなんて言い出すかもしれない。

作り手側の要請だけじゃない。きっと観客も、演劇を観に行くときにストーリーの面白さを求めているだろう(もちろんそれだけじゃないけど)。だから作り手も観客もストーリーがあればやりやすいはず。なのにintro『わたし -THE CASSETTE TAPE GIRLS DIARY-』にはストーリーがない。

というのは言いすぎで、集中して想像して観ていれば、見えてくるものもあるのだけど、なんというかそこを掘り下げるよりはストーリーはあまり気にせずに「わたし」をめぐる断片のつらなりだと思って32人(!)という群像がときに1人の「わたし」となり、ときに全体としての「わたし」となるユニークなアイデアがつまった演劇体験だと思った方が楽しめるはずだ(※)。

たとえば舞台上、1人の「わたし」がお腹がいなたくなる。舞台上にいる数十名の「わたし」はそれぞれ臓器の名前を言うので「わたし」の各器官・部位らしい。みな口々に、わたしは大丈夫、と言うが、「わたし」の群れの中にバタリと倒れてる「わたし」が1人いる。

実は「わたし」の痛みの原因はその部位のせいで痛んでいる「わたし」は舞台の奥に連れていかれてしまう(切除されたという意味?)。

ストーリーがないと人を座らせつづけるのは難しいと書いたけど、『わたし』はこんなユニークで楽しい表現があったり、ときにシリアスな断片があったりして、1時間半、僕たち観客を黙ってイスに座らせ食い入るように舞台を見つめ集中させることに成功していた。

今回の演劇シーズンはどの公演も長いなあと思うけど『わたし』に関しては1時間半が短く感じられ、もっと観たい、次のアイデアを楽しみたいと思った。

個々の役者も「大き子」を演じたのしろゆう子の意外なスピード感や「幽霊子」を演じた片桐光玲の変なセリフ回しや変な動きも楽しいし(この役者はそうとういい)、宮沢りえ蔵演じるおじさん兼犬の悲哀のある存在感、「影子」の山下愛生の好演など、見どころが多かった。

ただ惜しむらくは僕が観たのは初日で、序盤、役者が硬く舞台と客席の一体感がもう1つ足りなかったように思われたことだ。観客も33人という群衆表現にとまどいがあって、受け入れるまでに時間がかかってしまったのだろうか。

しかし長丁場の演劇シーズン、全8回のロングラン。日を追うごとに役者と客の距離は縮まるだろう。ライブ感はより出るはずで観客も劇のグルーヴに身をゆだね、男女を問わず1人のそして大勢の「わたし」になれるといい。

※正確に何人出ていたか数えていないが、キャスト表には33人の名があり、うち1人は犬役なので「わたし」を演じているのは32人になるという計算。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2017年8月16日~8月23日

初出:札幌演劇シーズン2017夏「ゲキカン!」

 

text by 島崎町

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