怒濤の人間劇場 イレブンナイン『サクラダファミリー』

役者が本当に泣く。泣いてしかたないから、小道具としてそれ用のティッシュとゴミ箱が配置されてる。そういう舞台だ。

2時間というやや長尺に対してストーリーの要素は少ない。大晦日の夜、家長・桜田イワオが家族を集めた。どうやら話したいことがあるらしい。言ってしまえばそれだけで、あとはただ、集められた人たちが延々としゃべり、ほとんど叫びにも似た応酬を繰り広げる。それがすごい。

ストーリーの要素が少ないぶんだけ、個々のぶつかりがひたすら濃密だ。グツグツグツグツ、登場人物たちがぶつかりあい、はじけあい、煮こまれていく。

物語の裏で作られていた年越しカレーと同じ。序盤、台所で切られていた具材は物語と同じように後半煮こまれていき、終盤、カレーも物語も完成する。

それでもさすがに、ストーリー的にあきさせないためか展開をにぎやかにする意味か、老人イワオが外に飛び出してシスターたちと何度もやりとりをする。その場面は正直苦しく思った。初回を見るかぎり、笑いもやや不発ぎみ。

しかし観劇後、パンフレットを読んで、作・演出である納谷真大の父の死を知った。そのとたん、あの屋根の上で走り回る老人、シスターに囲まれた姿が記憶の中で幻想的に浮かびあがってきた。イワオを演じる納谷がまるで自らの死んだ父を演じるような、重層的なシーンとしてはかなく美しく思えた。

シスターたちは初演時には存在しておらず、「社長」という役が同じ位置にいたようだ。宗教色のない舞台で、大晦日にシスターというのも不思議な組み合わせだなあと思っていたが、やはり意味があってのことだろう。それとも、偶然がそうさせたのだろうか。

『サクラダファミリー』を観ていて僕はガルシア=マルケス『百年の孤独』を連想していた。『百年の孤独』の帯には「怒濤の人間劇場」と書いてある。100年間にわたる一族のきわめて濃厚な物語だ。

『サクラダファミリー』も超濃厚、とろっとろの家族の物語。しかも100年かけずに物語上の進行時間は実質数時間。その中にまさに怒濤の人間劇場を描きこんだ。

最後のセリフ、その叫びは、登場人物の思いだけでなく、勘当された子どもが父にかける最後の言葉だと思って、胸がグッと熱くなった。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2018年1月20日~1月28日

初出:札幌演劇シーズン2018冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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