美しくもせつないシーンをぜひ 札幌座『象じゃないのに…。』

ハッキリ言って好みだ。けっこう好きなジャンルなんです。

札幌座『象じゃないのに…。』は不条理劇だ。そんなこと言ってしまうと、なんだか小難しい劇と思われるかもしれないが、違う。

不条理劇は、個性的なキャラクターが生み出す笑いを楽しんでいたら、いつのまにか知らない場所にたどり着いていた、そんな愉快なジャンル。

たとえば札幌座のレパートリーである『亀、もしくは…。』や有名作『ゴドーを待ちながら』なんかもそう(ゴドーは12月に斎藤歩、出演&演出で上演されるらしい。これは超楽しみ!)。

不条理劇は笑いとの相性がいい。ズレというのは笑いを生み出す装置のひとつだと思うんだけど、不条理劇にはズレがたくさんある。たとえば劇の設定が現実的でありつつ非現実的だったりする。その境目を行ったり来たりするときに笑いが生まれる。

さらに、起こる出来事が正常と異常の狭間にあってズレの宝庫。出てくる人物も通常の枠からズレた人物が多い。設定や出来事、人物のズレをかけあわせてもう笑うしかない状況ができあがる。そんな不条理劇に出会えば、きっとあなたも不条理劇ファンになること間違いなし。

本作はその、いい不条理劇の見本のような作品。おかしな人物がしゃべったり動いたりすることによって笑いが生まれ、最後は、なんでこんな心境になってしまうんだろう、という境地にまで僕らを運んでくれる。

象にただならぬ愛情をそそぐ飼育員(川崎勇人、劇団東京乾電池)は、パレードで象が暴走し、知事を負傷させてしまった責任を問われる。病院とおぼしき場所に留置され、まず医師との会話がはじまるのだけど、この精神科医を演じる山野久治(風の色)の迫力のある軽さのようなものがもうおかしい。

そこへ、今回の事故を取り調べる刑事(斎藤歩)が登場する。猛烈なセリフをはきつづけるさまは圧巻で、見所のひとつだ。この刑事のキャラクターを、ディストピアもの(不条理劇とは仲のいい兄弟のようなもの)によく出てくる冷たい公務員(取調官)といった風にもできるはずだが、ここではなにかあやうさを感じさせる人物のように見える。

ディストピアものの取調官は、冷たさと頑(かたく)なさゆえに、背後にある国家やシステムの堅牢感が際立つが、本作の刑事のゆるさは現実社会でいままさに崩壊しつつある国や制度(憲法や法律や行政システム)が透けて見える。刑事が長々と話す内容に耳をすますと言ってることの滑稽さにおかしくなるが、まるでどこかで聞いたことのある話だなあと思った瞬間ゾッとする。「おかしい」という言葉には「笑える」以外にも意味はある。

刑事のあとに登場するのが同僚飼育員(前田透、劇団・木製ボイジャー14号)で、彼の話すエピソードの、なに言ってんの感は最高。ムダに記憶残ってしまって困る。つぎに出てくる飼育員の母(原子千穂子)は和服姿で、この人がどんな母親なのかがわかってくると和服のキッチリ感の意味もわかってくる。

そのあともうひとり(?)出てくるのだけど、それはお楽しみ。このシーンになって、とつじょ劇は変化する。簡易な(すばらしい)舞台装置しかないのに、出てきたキャラクターは特殊なこともせず、むしろチープ感があるのにもかかわらず、ほんと、魔法にかけられたようにグッと引きこまれる。

どうしてこんなことができるのだろう。それまで着実に積みあげたセリフ、シーンのおかげなんだろうか。それとも演出力なのか、俳優のよさなのか。ともあれ終盤、大げさに言うなら奇跡のようなシーンが生まれる。この、美しくもせつないシーンをぜひ観てほしい。言葉にできない感情が心にあふれる。演劇の本当にいい部分だと思った。

最後に、なぜ象なんだろう。この舞台を観てすぐに思い出すのがポーランドの作家スワヴォーミル・ムロージェクの『象』という短編だ。動物園の園長が経済的という理由で、ゴムに空気を入れた象の偽物を置くのだけど、ラスト、象は風に飛ばされていなくなってしまう。

『象』も『象じゃないのに…。』も、別の動物に置き換えると、なにか、違う。象じゃなきゃダメなんだ。

僕たちはいったい、象になにを見ているのだろう。

 

公演場所:シアターZOO

公演期間:2018年8月4日~8月12日

初出:札幌演劇シーズン2018夏「ゲキカン!」

 

text by 島崎町

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