演劇と音楽と 『LONELY ACTOR PROJECT vol.27~2019年 新春松の内公演~』

Twitter(@BLOCH INFO)で「初日の前売りが完売した」と知り、「最後列に座れないといやだー」と早めに着いた(無事に座れました)。出演者の身内と思われる人がいたり、BLOCHで見かけるのは珍しい小学生男子がいたりと、客席がいつもの雰囲気とはちょっと違う。まぁ、これも年明けのこの公演ならでは。

上演は4作。そのうち、マサコ部屋でも紹介した作演出:松重有紗(演劇集団空の魚)、出演:佐藤優将(劇団米騒動。優将でゆうすけって読むのね、という発見が)の『男性坂田と複数女性』について書く。

「30歳になる前に結婚したい」という29歳の坂田が彼女をつくるため、合コンに出向く。が、そこでは全く出会いがなく、合コンで泥酔して吐きまくっている時にとある女性と出会う。しかし、その女性には婚約者がいた-と半ばくらいで判明する。舞台上にいるのは坂田だけだけど、せりふや振る舞いから、その女性(名前を忘れた…)がとっても魅力的な人なんだろうなぁと伝わってきた。あと、言葉遣いが妙に丁寧だったり古風だったりしていて、それをたまにつっこんでくることで観客を飽きさせていなかった。前半を笑いでぶっ飛ばし、女性に婚約者がいたことがわかった後はしんみりさせる。松重さんの「こういう話にしたい」という意図は達成したと思うのだけど、以下、「どうしてかなー」と思った点。

①散々振り回した男を結婚式に呼ぶ女性の神経がわからない

②坂田が松山に帰る理由が明確ではないので、そこからいきなり高松で行われている結婚式会場にタクシーで向かう-という展開が、つじつま合わせのようにも感じる(ちなみに、松山から高松まで最短距離で150キロくらい。現地に住んだ経験のある人が言うには「タクシーで飛ばしても2時間はかかると思う。結構お金かかるよ」)

③会社で、坂田が部長(課長?)と話す時の目線が異常に低い(あれじゃあ、座布団敷いて正座している高さだ、と思った)

終演後、松重さんが「(この舞台は)佐藤のおかげ」と話していたが、そこには私も納得。前半、飛ばしすぎてちょっとつぶれかけたところもあったけれど、あそこまで動いて喋る佐藤くんは心強い存在だったんじゃないかな(個人的に、佐藤くんの向こうに藻岩が見えた)。なので、米騒動も観てみたい。

他の作品について。

『猪突盲信』は、ラスト、神父が自死するようなしぐさで終わる(ですよね?)。明らかに仏教ではないけれど、祈る時に十字を切ってないし何教なのかを名乗らない。以前、世界中の宗教の大半で「自死は罪」という記事を読んだことがあるのだけど、ラストの神父の行為が自死につながるものであれば、設定そのものがおかしくなるような…。

『亜光速ラブストリーム~未来からの予告状』『55年目』は、ともに劇中で歌詞がある曲を使用。いつも思うのだけど、歌詞のある曲は使い方を考えないと作品が台無しになる可能性が高い。今回で言えば、「あ、この曲聴いたことある、誰の曲だっけ~?」と考え出し、せりふが全然耳に入ってこない場面があった(「まーるーでぼくーらはエイーリアン」と頭の中で歌い出すと、せりふはもう本当に聞こえない)。今回ではないが、役者の感情の高ぶりに合わせて、もり立てるような曲を使う作品を観たことがあるけれど、安易だなーと思った記憶がある。

かなり前のものだが、演劇ライターの徳永京子さん(@k_tokunaga)さんのツイートがとても参考になるので、以下に記したい(しかも高校演劇についてのもの)。

【高校生の皆さんへ】③「BGMよりSEに神経を注げ」日本語の歌詞のちょっと気の利いた曲を大音量で流せば、条件反射的に大抵の人の心は震えます。安易なBGMで観客を感動させた気にならないこと。それより、場所や季節や天気や時間帯をさりげなく伝えるSE(効果音)をつけて戯曲を助けて。

 

・1月4日、BLOCHにて観劇

text by マサコさん

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