圧倒的な悪 クラアク芸術堂『汚姉妹』

物語の主役は悪だ。

「ヤナギ」というムカつく金持ちの男だ。巨漢、黒づくめ、葉巻を吸い、善良なる人々をおとしめていく。善なるものなどこの世に存在しないのだと証明するために生きている悪。

演じるのは伊達昌俊(クラアク芸術堂)。みごと! よくやった! という熱演だ。

なに言ってる主役は「ハル」(山本眞綾「クラアク芸術堂」)だ。あのかわいくて明るい無垢な存在だろうという意見はもっともで、まあ別にそれでもかまわない。

しかし物語を動かしているのはヤナギだ(ヤナギと書いて悪と読んでもらってもいい)。事実、彼が動かなければなにも起こらない。のどかな日常が繰り返されるだけだ。お絵かきして、笑いあう、おしまい。まことに平和な世界だ。僕たちもニコニコしながら劇場をあとにするだろう、いい気持ちで。

だけどヤナギはそれを許さない。彼はこの物語のどの人物よりも行動し、たえまなく努力し、自分の目標へ向けて一歩また一歩と前進していく。悪のために。

そう、古今東西、あらゆる物語において悪はつねに努力家で勤勉だ。明確な目標を持ち、計画をたて、日々向上心を忘れない。それにひきかえ善なるものよ……。絵なんか描いてほのぼの生きてるスローライフ。雨にうたれてああ大変、レベルだ。

物語中もっとも善なのが(君たちの)主役・ハルなんだけど、もうひとり、善的な存在がモモ(脇田唯「POST」)だ。彼女は絵を描き、仲間たちと楽しく愉快な日々をすごしているが、ヤナギの悪行三昧に対してまったく無力だ。無力どころかほとんどずっと傍観者だ。一回なにかしかけるが全然ダメで、悪の引き立て役でしかない。

傍観者たるモモは、なにごともなければみんなと楽しくすごしましたとさ、めでたしめでたし、という人生だっただろう。もちろんそれはそれでアリな人生なのだろうが、絵描きとして彼女を覚醒させるのが、ヤナギの行う憎むべき悪行だという事実は注目すべきことだ。

悪なくして、モモは絵を描き人々に物語れる存在になれるのだろうか? 悪が彼女の才能を導いたとしたら? 本作がつきつけてくるこの問いは面白い。

パンフレットにある脚本・演出の小佐部明広の文章には、当時行き詰まり現状を打破したくてこの物語を書いたとある。その精神状態とモモが先へ進んでいく展開を重ね合わせるのはやや強引だろうか。それとも案外、合致してるのだろうか。

ところで僕は、パンフレットに書いてある「この物語は『魔法』と『呪い』の言葉の物語だ」という部分には劇を観てさほど面白みを感じなかった。

おまえは悪が面白いかどうかばかり見てたんだろ、と言われるかもしれないけど……もちろん物語構造として、か細い1本の糸がラストに結びついて劇的な展開をむかえるという作りには感心した。逃れようのない呪いに苦しむ心も理解できた(僕だってみなさんとおなじく呪われているひとりだ)。

だけどこの主題はまだ、もっと、濃密に物語と絡み合うはずだし、劇中はしばしに顔を出すべきだと思った。この物語の到達点はもっと高い位置にあるのではないか。いつか、さらにすごいものとなって世に現れるのではないか。それを期待させた。

この劇は(僕たちの)ヤナギによって残酷・非道が行われていくが、客は目をそらすことなく物語に没入する。それはたくみで、ときに潔癖とすら思える脚本・演出によって成り立っているが、終盤、物語は怒濤のマジックリアリズム的展開によって自ら調和を破壊する。

劇的、まったく劇的。僕が見たいのはこれだった。求めているのはこの瞬間なんだ、そう思った。

圧倒的な悪、まばゆいばかりの善がひとつになる瞬間、それをみんなで見に行こう。

 

公演場所:シアターZOO

公演期間:2020年2月7日~2月15日

初出:札幌演劇シーズン2020冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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