福岡で福岡の劇団を観た あなピグモ捕獲団『パンタレイと一匹の猫』

いろいろあって、1週間くらい福岡にいる。

滞在中にいろいろと観劇したかったけれど、こんな世の中なので大きめの商業演劇は中止や延期が決定していた。「むむー」と思っていたところ、以前取材でお世話になった(福岡・九州の舞台芸術を支援するNPO法人)FPAPのお三方に「これ、観に行ったら?」と教えてもらったので観に行った。遠慮なくひと言で表すなら、「2800円(一般、前売り)はちょっと高い」だ。

自分のことを「ネコ」と名乗る女子がいる。ネコの飼い主の男は小説(自分史)を書いている。その2人(実際は3人か)を除いた登場人物が、男が書いている内容(過去とか記憶とか)を演じていて、さらに「実在した本人ではなく、『再現ドラマの役者のようなもの』」と自ら言う。舞台上に出てきたけれど自分の役がわからない人がいたり、男が書いては消した内容を演技で「復元」したり、ネコが「(書いたこと、記憶を)復元しなきゃいけない」と言ってみたり…。あらすじのようであらすじでもない感じもするが、こんな感じ(まだ土日公演があるのでラストには触れない)。

事前に聞いていた情報は以下の通り(そして、以下敬称略)。

1.あなピグは根強い人気がある劇団だ

2.その一方で、好き嫌いが分かれる劇団でもある

3.舞台装置や音響にこだわっている劇団だ

4.福岡では中堅とベテランの間くらいの劇団だ

5.散文詩のようにばーっと書いて、回収しないこともある

私は初見だけれど、上記1~3は「そうね」と納得した(4については、これまで観た福岡の劇団が少なすぎるのでわからない)。ではなぜ「2800円はちょっと高い」と思ったかというと、役者がついて行けていないと感じたからだ。

元々の演技の癖なのか演出なのかはわからないが、1人を除いて演技とそのバリエーションが同じに見えた。もし、そこが本作の狙いなら「私にはちょっと合わないな」で終わる。けれど、「そうではない」ことを前提とするなら、セリフを発する時、身ぶり手ぶりが過剰だったり、その一方で棒立ちで冷たい視線を送ったりとワンパターンが続いていたような印象が強く残った。役者歴の差も関係するのかもしれないが、大半がそんな感じでは100分はつらい。また、セリフの発し方も「高」「低」の繰り返しで変化が少ない。高校演劇の審査で指摘したことがあるのだけれど、怒りを表す時に怒鳴るのは安易だと思っている。言い換えれば、怒鳴らなくても怒りを表現できるのが「役者」ではないだろうか。また、作演出の福永郁央の書くセリフは、いずれも長い。それを滑舌よく(初日だからか、引っかかったところもあったが)発していたのは、役者それぞれの稽古や練習があったからこそと想像する。さらに、そんなに広くはない舞台を華やかに見せる工夫(換気の時にナレーションの内容をスクリーンに映すのは野暮だと思ったが)や、コロナ感染の対策を反映したセットは面白いと思ったが、だからこそ私は役者の演技が気になってしまった。

その中で目を引いたのは、『再現ドラマ』側のワタルを演じた大竹謙作だ。身のこなし方というか立ち姿というか存在感が格別だったし、大竹がいないシーンは物足りないとも感じた。ついでに書くと、メガネをかけても目が悪い私には、時折、山崎育三郎に見えた(ヘアスタイルのせい?)。別の舞台でも観てみたい。

あと、役者の演技の他に「もったいないなぁ」と思ったのは、全部セリフで言っちゃうところ。上記5に書いたようにセリフがちょっと詩的なんだけど、(初見だから比較はできないが)本作ではきちんと回収していたと思う。ただ、その詩的なセリフ、もっと余韻を残して、観客に想像させるとか、委ねるとかしてもいいんじゃないかなぁ。むしろその方が、本作でやりたい部分がくっきりと見えてきそうな気もする。

 

FPAPの方々に「あなピグはどんな劇団(作風)なのか書いて」と言われている。

札幌で言うなら、方向性→yhs、見せ方→きっとろんどん。あくまでも、何となく近いという主観ですが。現実のワタルを櫻井保一、『再現ドラマ』側のワタルを増田駿亮でやると面白そう。

 

2020.9.11 福岡:ぽんプラザホール

※9月30日追記

劇団について聞いていた情報を一部直しました

text by マサコさん

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