暴力は有効なのか? 風蝕異人街『THE BEE』

暴力はどこから生まれるのか。

風蝕異人街『THE BEE』は、ある日突然、暴力によって日常を奪われた男の物語だ。

脱獄犯・小古呂(おごろ)が井戸の家に押し入り、妻子を人質にとる。井戸は小古呂の妻子に協力を求めるため家に行くが、小古呂の妻子はかたくなに拒否する。すると井戸は小古呂の妻子を人質にとり(!)、小古呂との交渉の道具に使いはじめる。

暴力が暴力を生み出す。被害者だった井戸は、小古呂の家では加害者になった。前半で描かれる暴力の連鎖、相似形の2つの立てこもり事件に客は引きこまれる。『THE BEE』の戯曲が持つエネルギーと風蝕異人街のアングラパワーが組み合わさって爆発している。

さらに舞台は70年代。昭和感丸出しだ。すべてが過剰にみなぎっているあの時代。客入れから早くも流れる流行歌、被害者にカメラ・マイクを突きつけるハイエナメディア、高圧的で感情的なマンガ的警察、カギを差しこみドアを開ける古い車、辿り着いた小古呂の家では夜の仕事をする妻がネグリジェらしきものを着て、ちゃぶ台みたいな丸テーブルに、黒電話が鳴り響く。

昭和的なガジェットと昭和的な人々があふれ、異常な速度で物語は突っ走る。この迫力はさすが風蝕異人街だ。

三木美智代のセリフと身体の融合は群を抜き(僕が見た初日初回は井戸役)、伊達昌俊(クラアク芸術堂)の怪演は狂気にあふれ楽しそう、渡部萌(小古呂の息子)はおびえながら絶品のアワアワ顔を見せつける(あの顔は必見)。

しかし、この舞台がとても怖く、とても奇妙なのは後半だ。熱を帯びた舞台はしだいに温度を下げていき、表現も様式化されていく。そこには、ゾッとする、凍りつく暴力が待っているのだ。

この前半と後半の違いこそが見所だ。暴力を手に入れ立てこもりに成功した井戸は暴力をコミュニケーションとして使いだす。

井戸の言葉は誰に対しても無力だった。警察もマスメディアも一方的で、井戸の言葉はかき消されていた。ところが井戸が暴力を使いだしたとたん、警察は井戸の言葉をちゃんと聞きはじめる。井戸と小古呂の暴力によるコミュニケーションは、どのやりとりよりもしっかりとたがいの心に響き、どのやりとりよりも長くつづく。

これは恐ろしい舞台だ。客が突きつけられる問いだ。暴力は有効なのか?

ところで井戸家の方、脱獄犯・小古呂が立てこもったその家では、井戸の妻子が監禁されてるはずなんだけど、出てこない。

いったいどんな妻子なんだろう。大会社に勤め、頭がよく顔もいい、子供の誕生日にプレゼントを買って帰る理想的な夫には、理想的な妻と子供がいるのだろう、と思ってしまうけど。

井戸妻子の不在は、僕たちの不穏な想像力に火をつける。小古呂が家に押し入る前、井戸の妻子は絵に描いたようなしあわせな姿だったのだろうか。もしかして井戸の妻子も、井戸に監禁された小古呂家のように、能面のようにすべてを受け入れる妻と、無気力に床に横たわる子供だったら……。

この劇は暴力の連鎖だ。暴力がつぎの暴力を生んだ。だけどそれは新たな暴力が井戸の中に生まれたのではなくて、もともとあった暴力の種が、むくむくと芽を出し花ひらいただけなのだとしたら。

小古呂の妻子を監禁し、家庭を作りあげたあの手法が、彼にとってはいつものパターン、手慣れたものだったとしたら?

 

公演場所:シアターZOO

公演期間:2022年8月6日~8月13日

初出:札幌演劇シーズン2022夏「ゲキカン!」

text by 島崎町

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