たまらない居心地の悪さ ストスパ『エゴイズムでつくる本当の弟』

2023年7月に東京で公演された、ストスパ『エゴイズムでつくる本当の弟』を映像配信で観た。

ひとことで言うと変わった作品だ。単純な感情だけに落としこまない、一癖も二癖もある舞台だった。

まず前説で、作・演出の白鳥雄介が出てくる。本作はチラシの紹介文の最後に書いてあるように「コメディ……」なので笑う練習をします、と客に言う。白鳥の「あはははは」という音頭のあと、客も「あはははは」と声を出す。

場をあたためるためなんだろうなあ、でも僕はこういうのはあまり好きじゃないなあと思ったのだが、この前説はあとで別の効果を生むことになる。

白鳥雄介が、この舞台は自分の家族の話、実話をもとにしたものだと言って舞台を去ると、入れ替わりにおなじ服を着た「雄介」(丸山港都/劇団東京夜光)が現れ、家族構成と歴史を語りはじめる。そうやって本編がはじまっていく。

ストーリーは、結婚式前日の家族模様を描く現在パートと、複雑な家族構成に悩みながらも前に進んでいく過去パートに分かれる。現在パートでは、雄介が自分の結婚式を使って、血の繋がっていない弟・ミッツ(秦健豪)を真の家族にしたいという願望が語られる。

過去パートは、離婚によって教育熱心で押しつけがましい父(大内厚雄/演劇集団キャラメルボックス)と離れ、新しい父親(賢茂エイジ/円盤ライダー)とその連れ子(ミッツ)との同居、籍を入れない内縁関係のために名字が違うことや、家庭内の不協和などが描かれていく。

どこまでが本当の出来事で、どこからが創作なのかはわからないが、雄介が経験してきたしんどい家族の話が進んでいく。とはいえ前説にあったようにこれは「コメディ……」でもあり、適宜挿入される笑いの場面のおかげで深刻になりすぎずに物語を楽しむことができる。ここら辺の案配はうまい。

そうして現代パートで提示された、雄介の結婚式でミッツがあいさつをすることで真の家族となる、という理想的なゴールに向けて物語は進んでいくのだが……。

最初に書いたように、これは一癖も二癖もある舞台だ。

なるほど、実体験から脚本を書き、役者に自分を演じさせるんだなと思って観ていると、主役である語り手の雄介は途中から分裂する。家族のいざこざに絶えられなくなると、もうひとりの「雄介」(株元英彰)が現れ、自分に代わってうまく対処してくれるのだ。

観客は、家族関係に苦しむ雄介と、場の空気を読み自分のエゴを抑えるもうひとりの雄介を交互にながめ、彼のつらさを追体験していく。作劇としてはなるほどと思うのだが、僕たちはさらにもうひとりの雄介を知っている。前説に出てきた雄介だ。この劇をつくった張本人、しかも前説でわざわざこれは自分の話だと説明までした彼の姿がちらつき、どうにも居心地の悪さを感じる。

いま僕たちは彼の物語を観ているのだが、本人はおそらくこの劇場のどこかにいるんだろう。張本人をよそに役者たちが彼の書いた脚本で動き、セリフを言っている。なんなんだろうこれは。

この「居心地の悪さ」こそがこの劇の本質なのだろう。「コメディ……」ですと言い「あはははは」と無機質な笑いの練習をさせられ、家族のぎすぎすを観る。居心地が悪い。

冒頭、雄介がいない実家のリビングで、雄介の母(森下ひさえ)と、雄介の婚約者(飛世早哉香 /in the Box/OrgofA)、雄介の兄(青地洋)とその妻(小山百代。木村友美とのWキャスト)、ミッツとその飼い猫・夢子(内田めぐみ)が入れ替わり出てきて会話をする。コメディ的な要素は多いのだけど、お互いを信じ切れていない、手探りのコミュニケーションがつづく。

さらに「エゴイズムでつくる本当の弟」という題名と直接関連する、自分の結婚式でミッツにあいさつをさせることで真の家族にするという雄介の思いだが、ミッツは引きこもりで人との交流を避け、あきらかにそういうことに不向きな人間なのだ。雄介の一方的な願望はまさしく「エゴイズム」であり、それをゴールに設定して物語が進んでいく(と思って観る)ので、居心地はどんどん悪くなっていく。

雄介は、実の父親のことをよく思っていなかった。強権的で勉強を押しつけ、子供たちの気持ちなど一顧だにしない。離婚して別居後も、まるで家庭教師のような立ち位置で子供たちに勉強を強制しようとする父親。だが、前説での笑いの練習や、ミッツへお願いする結婚式のエゴを観ていると、雄介もおなじなのだとわかる。嫌っていた父親と、けっきょくはおなじ息子。

タイトルにある「エゴイズム」という言葉がかがやき、家族という逃れようもない絆が浮かびあがる。

劇中、雄介は分裂したが、観客は分裂することを許されない。ただこの劇の行く末を見守るだけだが、終盤において驚く展開が起こる。劇自体が分裂するのだ。それまでていねいに物語が積み重ねられていただけに、この展開は驚く。いままで書いてきた「居心地の悪さ」や「エゴイズム」「分裂」が1点において集約されたかのような、アクロバティックな必然だ。これは非常にスリリングでたまらない。

さらにこの展開をすばらしいものとしているのは、ミッツ役の秦健豪だろう。彼は非常に繊細で、しかもエモーショナルにミッツを演じた。人とあまりしゃべらず感情を出さず、自分を引っこめているのにその中にはたしかになにかがあるとわかる、そんな人物が舞台上に存在していた。かかわってもいいことがなさそうなのに、なぜか助けてあげたくなるような、不思議な魅力までかもしだし、この人物を観るだけでもお金を払って舞台を観るべきだと言いたくなる存在だった。

さて、最後にいくつか気になる点を書いておく。まず方言だ。北海道の話で、登場人物のほとんどが北海道弁を話す舞台なのだけど、正直、北海道の人間が観るとノイズだった。東京で行われた舞台だし、他の地域の人は気にならなかったかもしれないが、北海道出身でそこに暮らす人間からすると劇の中で北海道弁はかなり浮いていた。

音楽も浮いていた印象だった。耳に残りやすいというか、場面の途中で気になることが多かった。もっと主張を少なくして、舞台に集中させた方がいいのではないか。

この劇は1時間45分ほどだが、前半はスローペースでシーンが長く感じた。笑いの練習はあったが、前半、笑いの場面はあまり笑えなかった。笑わせようと笑いを意識させると逆に笑えなくなるのではないか。もちろん、「コメディ……」という言葉が、単純なコメディではなく、むしろ笑いをエサに居心地の悪さをつくるためであったら、それは成功していたと言える。

前半はスローペースだったが、終盤は驚きもあり、着地はすばらしい。こういう終わり方は大好きだ。そこに、作・演出の力を見た。意欲作だし、自分を書くことのすごさもある。居心地が悪くても、人を居心地悪くさせても、それでも前に進んでいくという強さを感じた。

 

配信は2023年8月20日まで。料金2000円。

ステージチャンネル

URL:https://www.stage-channel.com/ticket-stokes-park

 

配信観劇。

公演は2023年7月19~23日に東京下北沢「小劇場B1」で行われた。

text by 島崎町

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