50年後、100年後も 演劇家族スイートホーム第7回公演『いつか、いつだよ』

脚本・演出 髙橋正子

2012年に高校を卒業した30歳の巻真希(竹道光希)が車に轢かれそうになった犬を助けるのだが、犬アレルギーのため呼吸困難をおこし生死のはざまを彷徨う。自分の人生こんなはずじゃなかったと臨死体験のさなか死神(本庄一登)に出会い、無事蘇生した際余命を少々わたすことを条件に自分が輝いていた高校生のころに戻る、と思ったらコロナ禍の2020年に転生する物語。

奪われる余命は転生した日数×0.5だったかな?自信はありません!仕事にやりがいも感じられず、このまま死んでしまうよりは・・・と転生を望むが、死神から与えられたミッションは活動制限により空中分解しそうな放送部を団結させること。失敗すれば来世人間として生まれ変われる保証はない・・・。第5回公演『砂浜も冷えるから』では、目に見えないものを信じることには消極的な感じだったのに今回は死神である。正直驚いた。しかし事前に公開されていた「あらすじ」を読んではいたが、基本設定が理解できず序盤はなかなか話に入っていけなかったのも正直なところ。なかば死神に騙されて転生したのは良いとして、ミッションを与えられる理由が理解できなかったからだ。「あなたの人生を採点すると天国行きにはちょっと点数が足りません」というなら「善いことしないと」となるが、そんな話ではない。天使でもあるまいし何故人助けをさせるのか?聞き逃したセリフは数限りなくあるので、実際は納得のいく設定があったのかもしれない。

「私がすべての作家に期待することは、みなが新聞記者の修行を積まれるようにということです。それはすべてのことに興味を身につけるためです。」カレル・チャペックの言葉である。航空整備士を目指した学生の視点からコロナ過の苦しみに寄り添うように描いた短編『滑走路は待っている』でも見せたように、髙橋さんはジャーナリスト的な劇作家だとボクは思っている。今作でも黒板に転生した年月日、その下に書かれた数字は北海道の新型コロナウイルス感染者累計数であろうか?黒板に日にちが変わるたび書き換えられたのは分かりやすかった。野球部の多田忠(菊池健太)の発言や女子高校生たちのやり取りもリアルに思え、色々調べたのだろうと感じた。

そして今作の基調ともいえるのは「ジャネーの法則」。ボクはその名前を初めて知ったが、似たようなことはノーベル生理学・医学賞を受賞したアレキシス・カレルも言っていたなと思った。成人よりも子供の方が時間の流れを遅く感じるという話。カレルは川に沿って走る人間に例える。朝は元気なので川の流れ以上のスピードで走れるが、昼になり夜になるにつれて走る速度は落ちる。結果、川の流れを速く感じる。実際には川の流れる速度は変わっていないのだが。生活がマンネリ化すると時間の流れを速く感じるとして、毎日を知的、精神的冒険に満ちたものにすることをカレルは勧める。

真希もマンネリ化により毎日を短く感じていたが、部員たちと日々を過ごすことにより時間が長くなることを感じていた。これは裏を返せば、コロナ禍では大人より子供たちの方が苦しい時間をより長く体感していたということだ。

「卒業してからの人生の方が長い」と言った第6回公演『はんめんせんせい!』とは視点が違うとはいえ、その発想の振り幅にボクは衝撃を受けた。

真希は死神からミッションクリアを言い渡されるが自分が役に立てたとは思っていない。だが真希がいなくなった世界では真希の影響を受けた放送部の金本加奈子(古谷華子)が野球部員により踏み込んだ質問を投げかけ、コロナ禍から落ち着きをとりもどした未来への希望を引き出す。それは頑張る人を応援することの素晴らしさを感じさせた第3回公演『裸足でベーラン』を彷彿させる場面であり、生徒の成長を信じる『はんめんせんせい!』を思い起こさせる場面でもあった。

自分の気づかないところで役に立っている。それをあえて自覚させない終わり方が良かった。死神の評価より、自分が少しでも納得できるように物事に取り組む。見返りを求めない真希の姿が美しく思えた。

個人的に今作は演劇家族スイートホームの過去作達が思い起こされ、劇団成長の途中経過「四半期決算」をみたような気持になった。そして、それは良い時代なのか悪い時代なのか分からないけれど、50年後、100年後、今作はどこかの劇場で上演されている。そんな未来をボクは想像した。

 

2023年11月4日(金)19:00

扇谷記念スタジオ・シアターZOOにて観劇

text by S・T

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