創作とファンへの思い 劇団怪獣無法地帯 『FANTASY/ファンタジー』

脚本・演出 新井田琴江                                                  人気小説家の四ツ谷幽(むらかみ智大)は、人が怖くて素顔を公表していなかった。サイン会をきっかけに大学の後輩で人当たりの良い伊勢谷数馬(足達泰雅)を四ツ谷だと偽らせる。そして互いを嫉妬。伊勢谷が「何も残すことができない」と自らの死を利用し、ファンを巻き込み四ツ谷には書けない作品を創っていく物語。

「劇団怪獣無法地帯が贈る大人の悪夢系ファンタジー」との触れ込み。悪夢とあるが初日観劇後の夜、ボクは夢を見た。新井田さん出演の芝居が行われ、客席から「新井田さーん!」と叫ぶ声。「やべーやつがいるな」と思ったが、そんな夢を見る方がやべーやつなんじゃないかと目覚めて思った。

余談はさておき、今作は難解だった、ボクにとっては。1回目の観劇は場面の設定(三ケ月前、今日、~の回想など)を表す演目台が見えにくい席だったせいもあり余計に分からなかった。けれど作品紹介にあった「ゴシック × 人形劇mix × ミステリー」をキーワードとして考えるとキリスト教的世界観(クリスチャンではありませんが)でこじつけられるんじゃないかと思って2回目の観劇へ。

すると序盤から驚いた。謎の人物である杏(新井田琴江)がリンゴを手にしているではないか。初回の観劇時には「何でリンゴ?」と思ったがすっかり忘れていた。キーワードの一つ「ミステリー」は赤堀雅秋プロデュース『ケダモノ』の感想で以前書いたが、原罪を連想させるものである。そしてサタンがアダムとイブに知恵の実を食べさせたのは、神が自分より大切にする人間に「嫉妬」したからであった。

このようにキリスト教的世界観がはまる序盤なのだが「ゴシック」に行く前に謎の人物「杏」について述べたい。杏は四ツ谷作品に出てくる人物なのだが、四ツ谷もなぜ杏が現実にいるのか分からないようであった。ここで注目したいのはタイトルの『FANTASY/ファンタジー』である。アルファベットにカタカナ、二つに分かれている。安藤聡氏の『ファンタジーと英国文化』を読むと、トールキンの講演「妖精物語について」では、現在一般に「ファンタジー」と呼ばれている種類の文学を「妖精物語」と呼んでいると指摘している。つまりタイトルは想像の物語であるとともに、(妖精物語のような)超自然的な物語を意味しているのではないか。新井田さんは過去『アレクサンダとぜんまいネズミ』をモチーフに、生命を得たマネキンの物語を書いている。そのことからも杏は「超自然的な存在」と思われるのだがいかがだろうか。

そして「ゴシック」はファッションではなく「ゴシック建築」と解釈してはいかがだろう。酒井健氏の『ゴシックとは何か』(講談社現代新書)には「地上の汚濁の世界から天上の清浄な世界へ至る過渡的な地帯。シュジェの精神が漂うこの地帯こそ、ゴシック教会堂の地帯だった。」※シュジェはシュジェール、ゴシック建築初期のサン=ドニ大聖堂の修道院長のこと。「天上と地上の両方にまたがって開かれているこの曖昧さ故に、ゴシックの教会堂は神と人間の共同体の場になった。」とある。

ファンたちの協力を得て創られる作品をゴシック建築に見立て、神と人間ならぬ「曖昧に現実と非現実の両方にまたがった小説家とファンの共同体の場」とすることも可能だろう(新井田さんもパンフレットの挨拶分で「作り手」と「ファン」の関係性はときには曖昧で・・・と述べている)。そしてゴシックの大聖堂には人の顔や化け物の彫刻がある。まるで作品を創ろうとするファンたちの人形(ゾンビにもなる)のようだ。今作のファンたちは作品の一部でもあるのだ。また前掲書にはヴァザーリのゴシック批判文も紹介され「これら〔いわゆるゴシック様式の教会堂〕は秩序などというものは一切持って居らず、いっそ混乱とか無秩序とか呼んだほうがいいようなものである」とあり、わちゃわちゃと混乱し四ツ谷も戸惑った「人形劇」への批評のように思えてくる。ちなみに宗教改革の時代などでは無害を装った人形劇で思想闘争が行われたこともあったそうだ。無害と思われたファンの人形たちに追いつめられる四ツ谷の姿はその写しとも言えるかもしれない。

しかし、歴史を見るとそのゴシックも衰退していく。その要因の一つにフランスでのペスト禍(1348-50)がある。熟練職人たちが死んでいき賃金も高騰、大聖堂の建設を難しくしていった。コロナ禍で苦しんだ演劇界と重なるものがある。現在、新型コロナウイルスは2類相当から5類感染症の扱いとなったが無くなったわけではなく、インフルエンザも流行している。詳細は分からないが、2023年の札幌劇場祭でも関係者の体調不良から公演延期となった団体がいくつかあった。まだまだ上演できること自体が幸運に思える時期が続くのだろう。

このタイミングで新井田さんが今作を書いたのは何故だろう。それは労力をかけ準備された公演だとしても、演出で使ったマッチの火のように消えてしまうことが不思議でも何でもないことを意識するとともに、「誰もが何かを残している」ということを伝えたかったのではないかと思える。創作現場では、ファンの声にも思いにも影響を受けています、共に演劇の歴史を創っていきましょうとのメッセージだったのかもしれない。最後にパンフレットにあった挨拶分の一部を紹介して考察を終えたい。ボクによるタイトルの解釈をひっくり返すようでもありますが、とても大切な言葉なので・・・。

 

「ファンタジー」と「ファンたち」は響きが似ていますね。

 

ファンタジーという言葉に新たな意味が加わったような気がした。

 

 

2023年11月23日(木)19:30、11月26日(日)14:00

演劇専用小劇場BLOCHにて観劇

text by S・T

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