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もっとも近い他者 弦巻楽団『ピース・ピース』

あれ? もう終わったの?

気がつくと劇は終わり、カーテンコールを迎えていた。もともと70分だから短めだったとはいえ、あまりにもはやい。僕はしばし、ぼう然とする。

よい劇ほど時を忘れる。自分がどこにいて、なにをしていたのかがわからなくなる。物語に飲みこまれ、自分という存在が消えていく。どんどんどんどん、消えていく。いつの間にか、僕は劇と一体となっている。

弦巻楽団『ピース・ピース』は変わったお芝居だ。3話のオムニバスで、3人の役者が「語り手」「母」「娘」の3役を演じ、1話ずつ役を交代していき、全員が全役を担って終幕する(出演は赤川楓、佐久間優香、佐藤寧珠)。

異様にカッチリした形式だ。しかも舞台は簡素。イスが3つと「語り手」が語る本、それぞれが履く靴、それくらい。

「語り手」が語るのは自分と母親の物語。「語り手」が語りはじめると、「母役」と「娘役」によってその場面が演じられる。語りは止まることなくつづき、演技もつづいていく。ふたつが平行して舞台上で行われる。

ベケットみたいなのか! むずかしい前衛劇か? と思われるかもしれないが大丈夫。語られる物語、演じられるシーンはとても面白い。

だけど明確なストーリーがあるにもかかわらず、この3作がいったいなにを描き出そうとしているのかと問われると、一瞬戸惑う。えーとそれは母と娘の物語で……と。ここがこの劇のユニークなところだ。

こんなにもカッチリとした形式を持ち、語り手が自分の物語を語るという揺るぎなさもあるのに、一言では言いづらい。それは僕たちの心の中に“なにか”なはずなのに。

だからこの劇を観終わったあと、あなたはだれかと話したくなるはずだ。いったい自分の心の中にあるものはなんなのか、ほかの人はどう思ったのか。あるいは逆に、ひとり静かに考えたくなる。じっと、濃いコーヒーでも飲んで、深々といま観たものを反芻したくなる。

本作ははじめに小説の形式で書き、それを戯曲化したものだという。面白いもので、おなじ作者なのに媒体が違うと作風が変わることがある。『ピース・ピース』もそれに近い。僕がこれまで観た弦巻楽団の作品とはけっこう違っていた。

おそらくはじめから戯曲として書いていれば、もっとストーリーが動いたり、もっと明確な言葉で説明できるものになっていたのかもしれない。しかし小説からスタートしたことで、これまでとは違う表現、違う語り、違う出口から新たなるものが生まれたのだ。

物語をぎゅーっと絞ったときに出口からなにが出てくるか。演劇と小説で違ったのだ。そうして小説として出てきたものを演劇として再構築したことによって、小説的であり演劇的であるような、未知なる舞台が生まれた。

この物語は、母というもっとも近いところにいる他者と、そんな母との関係から浮かびあがってくる自分という存在を描き出す。時を忘れて物語に飲みこまれ、気がつくともう終わっている不思議な舞台。

観終わって僕は、いますぐつづけてもう1回観られるよ、という思いだった。2周つづけて観ても飽きない、いやもっと楽しめそうな気すらした。

まるで、何度読んでも飽きないお気に入りの短編集に出会ったような、そんな体験だった。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2024年1月27日~2月3日

初出:札幌演劇シーズン2024冬「ゲキカン!」

どこにでもあるけど、どこにもない 弦巻楽団『SEPTEMBER』

 舞台は、北海道十勝地方の町。この町の南波(みなみなみ)中学校が翌年3月に閉校になる。その中学の生徒と教師、住民との間で繰り広げられる「演劇部復活」を巡る出来事がストーリーの骨子だった。
 生徒減による閉校は、中学のみならず高校でも進んでいる。しかも、少子化に伴って、北海道だけではなく全国的にも進んでいる。そういった意味では、「舞台」はどこにでもある。一方で、現役部員が一人だけで、そこに中学OBのおじさんたちが部員としてかかわり、かつてこの中学で学んでいたときに亡くなった生徒が幽霊となって登場する。舞台は現実でもお芝居はどこにもない設定。まずはこのような設定が面白かった。

 見終わって最初に思ったことは、「このお芝居は、全国の中学、高校で上演すべき」ということだった。もちろん、お芝居の舞台が中学校ということもある。しかし、それ以上に、生徒と教師、子どもと母親、生徒と地域住民の関係を、演劇を通して考えてもらえるのではないかと思った。そして、自分一人で生きているように見えていても、何かしら心を動かす人間に支えられていることを、今の中高生に演劇を通して感じて欲しいと思ったからである。

 お芝居には8人の役者さんが登場していた。一人一人が個性的で、それぞれのお芝居に引き込まれた。
 まずは中年3人組。校長の二俣(温水元)、校長の同級生の百ノ塚(イノッチ)、そして郵便局員の田中(阿部邦彦)。三者三様で、一人一人の生き方がセリフとなって表現され、『なるほどそういう生き方をしてきたのか』と人物像が明確になった。とくに校長が「私は何一つ間違ったことはしてこなかった」と断言しつつ、何か間違っていたのかもしれないという憂いを言外で表現していた。含みを持つ演技(演出)は心に響いた。中学生、野島明日香(相馬日奈)の元に最初に駆けつける百ノ塚(もものずか)。演劇部OBであり、やんちゃな中学生活を送っていた百ノ塚が、大人になっても演劇部の思い出を忘れない言動は、演出家の思いを代弁しているように感じた。そして田中。生い立ちは決して恵まれていないものの、大人になって何かに打ち込むことに目覚めたような立場をうまく表現していた。
 ちなみに、弦巻楽団のお芝居で温水さんを何度か拝見しているが、今回も『うまいなあ』と感じ入った。もちろん、イノッチさんも阿部さんもうまかったのはいうまでもない。凄いぞ中年3人組。

 野島明日香が通う中学の教師、木本先生(佐久間泉真)と進藤先生(木村愛香音)。木本先生は優柔不断な側面を持ちつつも「生徒のため」という大義名分を忘れない存在として描かれた。一方、進藤先生は『こんな先生いるよな』と思わせつつ、校舎の外に住みついた子猫の世話をする日常も描いていて、木本先生も進藤先生も、教師としての等身大の人間を表現していたように感じた。

 さらに、幽霊となって現れたしじみ(柳田裕美)。最初に登場したときには、そのメイクと相まって鳥肌が立った。途中からは、ややひょうきんな言動で明日香の活動を応援する立場に立つ。大人には見えない存在としての演出はありがちだが、このお芝居では明日香と同じ視線を持つ存在として必要だったと思う。
 ひとつ気になったことは、幽霊のしじみに明日香がいうセリフ「お盆の頃には見えなくなってるね」は、演題が「SEPTEMBER」なのに、『8月の話なの?』とちょっと引っかかった。

 そして、なんといっても明日香の母親、あかり(塚本奈緒美)。まずはガラスのような冷たい感じで、しかも押し殺したトーンでのセリフは、とにかく怖かった。とくにやや震えた感じで「明日香には友だちでいようねといったよね」というセリフには、こちらも震えた。明日香が演劇を始めたことを素直にいい出せない理由も納得できるようなセリフとお芝居だった。後半は、何かが吹っ切れたように、明日香や中年演劇部員を支援する変わり身は、重く暗くなりそうなエンディングを華やかにしてくれた。うまい演出だと思ったし、それをうまく表現した塚本さんの演技も良かったと思う。
 最後になるが、唯一の中学生、明日香は、最初は心を閉ざしているように見えて、実は自分がやりたいことをやり通す、強い意思を持った中学生として描かれていたように思うし、相馬さんの淡々としたセリフ回しの後ろに意思の強さを感じた。

 一人一人について思い出しながら書いてみたが、これほど一人一人の存在が際立っているお芝居はめったにお目にかかれない。全員が主役級といっていい。それだけ個性的に描かれていたし、役者さんたちもうまかった。その8人がうまく絡み合ってお芝居が進んでいたので、面白くないはずがなかった。
 かつて、サンピアザ劇場で弦巻楽団のお芝居を何本か観たことがあるが、笑いの要素は含みつつ、はしゃぎすぎずにお芝居を進めていくという点が特徴なのかもしれない。100分という上演時間もあっという間に思えるほど、テンポ良くお芝居が展開していたと思う。
 そして弦巻さんがこのような内容のお芝居を20周年記念に書いたということは、弦巻さん自身が芝居好きで(当たり前といえば当たり前)、もっともっと演劇の裾野を広げようと考えていたからなのだろうと思った。そうであれば同感である。

 弦巻楽団の皆さん、20周年おめでとうございます。
 
 
弦巻楽団『SEPTEMBER』(脚本・演出:弦巻啓太)
上演時間:1時間40分
2023年9月14日19時30分
コンカリーニョにて

2022年度 記憶に残った作品 ー クラアク芸術堂、弦巻楽団、札幌座Pit

九十九坊の選んだ3作品

毎年、こうして3作品を選んでいるわけですが、その年によって様々な観点で悩みます。

今回もまた同じですが、今年度の作品に関してはかなり割り切った選び方をさせていただきました。
曰(いわ)く、とりあえずまず本数に斟酌しないで、ざっと脳内に候補作品を思い浮かべる(当然ですが3作どころではありません)。その中から、「今週末にこれらが全部上演されるとして、スケジュール的に3作品しか観られないとしたらどれを観にいくか」というかなり乱暴な方法です(笑)

結構あっさり決まるものですよ。「これは今週末じゃなくてもまた再演がありそう」とか、「これはあと数年寝かせておきたいな」とか。

そんなわけで下記3作品とさせていただきます。
あ、先に次点を1作。いつぶりだろう、久々に札幌で観た商業演劇、舞台『千と千尋の神隠し』(チケットが獲れたのは上白石萌音さんの回 2022/6/9 18:00 hitaruにて観劇)を選ばせていただきます(割とミーハーだなこいつ)

【2022年度 記憶に残った作品】※順不同

■クラアク芸術堂『ダブリンの鐘つきカビ人間』 2022/9/11 16:00 コンカリーニョにて観劇
――後藤ひろひとさんの傑作戯曲。札幌の役者さんならこの人で、と誰もが思うような主演の小林エレキさん。作品の格(という言い方はあまり好きではありませんが)に負けないキャストの熱演。諸般の事情で上演延期となっていた本作ですが、期待以上の満足度でした。

■弦巻楽団『ピース・ピース』 2022/11/20 18:00 パトスにて観劇
――弦巻作品として新たなエポックメイキングとも言える作品。静かな、深く優しい余韻。思い出すたびに、自身の人生の記憶と結びつけて反芻してしまうような心持ちになるのは、まるで好きな小説を紐解いている時のよう。「小劇場演劇は、個人的な〝出逢い〟である』という僕の持論そのままの作品でした。

■札幌座Pit『受付』 2022/4/10 14:00 ZOOにて観劇
――別役作品が好きなんですよね。あの「感覚」には定期的に浸りたいのですが、演者の方々と同様、物語に飲み込まれていく中で見えてくるというか、セリフの渦に身を任せていくうちに誘(いざな)われる世界があるのですが、その域に観客を運ぶことが演者にとっていかに難しいか。今作では、普段の配役ではあまり見られない納谷さんの一面も堪能することができました。

豊穣なストーリーの海 弦巻楽団『ナイトスイミング』

ストーリーを追うのは悪いクセだ。

演劇は空気の揺れ動き。役者と観客がおなじ空間を共有して成り立つもの。目の前で発せられたセリフが空気の波となって客に届く。その微細な感触を味わったり大胆な振動を全身で感じたり。それが演劇。生の舞台だからこそ持ちえる強さ。

それなのに僕は目先のストーリーについつい目を奪われてしまう。興味が、関心が、ストーリーを追ってしまう。

そういうことをやめたいなあと思っていたのだけど。

弦巻楽団『ナイトスイミング』。ストーリーの誘惑が僕を襲い、気がつけば1時間40分、追いっぱなし、惑われっぱなし、心を持っていかれっぱなし。

はっきり言って、もういいや、って。もうストーリー追って楽しんでなにが悪いんだって開き直れるくらい面白い。こんなにもか! ってくらいやられる。

ストーリーをこんなにも楽しく浴びられるのは、脚本だけでなく、演出、役者、音響、照明、美術、もろもろのスタッフたちが一点を目指し積み上げていった成果だろう。その到達点を僕たちは観ている。

あるいは「ストーリー」と呼び僕が魅せられたそれは、すべてのキャスト、スタッフが共同で織りなす舞台上のマジックなのかもしれない。大量の雪に覆われた北の一都市、とある建物その中で、人が動き、しゃべり、光りがまたたき、闇が静かに降りそそぐ。するとそこに宇宙が現れる。過去・現在・未来、時が生まれる。物語が動き出す。

不思議だ。この「ストーリー」なるものは、僕が演劇の一部分として過剰に期待し切り離そうとしていたものは、もしかしたら「全体」だったのかもしれない。劇場を支配し、空気の揺れ動きで微細かつ大胆に感じていたその波は、「ストーリー」という場の共有だったのかもしれない。

『ナイトスイミング』。夜に泳ぐ。

謎の惑星と衝突した宇宙旅行のクルーは暗黒の海を泳ぐ。無重力を漂いながら、きっと、星のようにきらめく断片を目撃するだろう。それは機体の残骸ではない。砕け散った時間と記憶のかけらだ。

衝突によって主人公の過去・現在・未来が飛散する。散らばった時間が、ひとつまたひとつときらめく。そのたびに、僕たち観客の前にストーリーが現れる。交差する時間の中に、人の思いの切なさや強さを観る。

暗闇に漂うかけらをかき集め、僕たちは泳ぐ、ストーリーの海を。波がおしよせる。心地よい波が。

 

追記:

2月8日、以上の内容を書いて事務局に送ったあとに、本日の公演中止のお知らせを知りました。再開は未定とのこと。体調不良のかたの快方を願うばかりです。また、公演に関係されているかたがたも、なにごともなければと思います。このすばらしい舞台、傑作と言っていい作品が中断となることはとても残念です。新型コロナによって社会生活は大変になっています。場を共有することで成り立っている演劇もかなりの打撃を受けています。もし上演再開となったあかつきには、みなさん、ぜひ観にいってください。とんでもなく面白い舞台なので。ぜひ。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2022年2月5日~2月12日

初出:札幌演劇シーズン2022冬「ゲキカン!」

弦巻楽団 演技講座 水曜クラス『幽霊部員はここにいる』

弦巻楽団さん恒例の「秋の大文化祭!」の上演作品。同劇団の演技講座の発表公演を拝見するのも久しぶりですが、期待を裏切られない清洌な舞台は、いつも「いい時間を過ごした」という満足感があります。今回もそんな公演でした。

※ここまでで感想は終わり。以下はただの駄文です(えっ?笑)
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あまりに、あまりに現実的な 弦巻楽団『インヴィジブル・タッチ』

 新型コロナウイルス感染症が拡大している北海道。ウイルスに恐れて生きることの窮屈さ。それが人間関係にも大きく影響する。
 このお芝居は、そんな日常を描いたお芝居で、2020年8月と10月の2時点における、とあるマンションの会議での、住民代表のやりとりで構成されている。
 2020年8月、ラポール1号館管理組合の集会室に集まった住民代表3人。鳩羽かすみ(30歳、専業主婦、7歳の子どもあり)、麻木若菜(32歳、大手アパレルブランド勤務)、空五倍子(うつぶし)利休(50歳、独身、母の介護を行っている)。集会室には、模造紙に書かれた「コロナに負けるな」の文字。ここでは鳩羽かすみが「マンション住人全員でCOCOAを入れるべき」と主張する。いうまでもなく新型コロナウイルス接触確認アプリである。それぞれに意見を出し合いながら、結局「入れることを推奨するが強制はしない」ということで落ち着く。
 2020年10月、再び3人が集会室に集まる。マンションの住人が感染したという噂が流れるも、それが間違いであったことが分かる。その一方で、会話の途中で、空五倍子の母親がデイサービスで感染したことも明るみになる。8月に、せめて3人だけでもCOCOAを入れようと話がまとまったのに、結局麻木がインストールしていないことも分かる。お互いがお互いの気持ちを分かりつつも釈然としない思いを秘めている。行き詰まりの中で、最後にかすみはいう、「これ以上、負けたくないから。」

 現在の状況においてあまりにもありがちな設定なので、前半はやや持て余し気味で観劇していた。後半も、あるある話で、『そうなるよな』と思う展開だった。ただ、最後の言葉「これ以上、負けたくないから。」を聞いて、お芝居がぐっと引き締まった感じを受けた。「コロナに負けるな」ではなく「すでに負けている」という前提でのお芝居だったから。諦めを含みつつも、これ以上負けないという意識。この意識をどう行動に移せばいいのか。そんなことを考えながら帰路についた。

 出演は、鳩羽かすみ役に袖山このみ(劇団words of hearts)、麻木若菜役に岩杉夏(ディリバリー・ダイバーズ)、空五倍子利休役に温水元(満天飯店)。3人ともうまかった。緊迫したやりとりの場面では、お芝居に引き込まれた。

 このお芝居は北大のCoSTEPとのコラボで、少し調べてみると、CoSTEPは北大の高等教育推進機構オープンエデュケーションセンターに設置されている部門らしい。この部門の種村剛先生が獲得した科研費の支援を受けて上演されたお芝居だった。

 それにしても意味深なタイトルですねえ、Invisible handならぬInvisible touch。見えざる手で触られるなんてコワい。
 
 
弦巻楽団『インヴィジブル・タッチ』(脚本・演出:弦巻啓太)
サンピアザ劇場
2020年11月21日 19時30分
上演時間:67分

記憶に残る3回目の果実 弦巻楽団『果実』

 このお芝居は、2012年9月26日と2016年8月21日の2回観ているので、今回で3回目。リーフレットを読めば弦巻楽団として今回が5回目の上演とのことなので、小生、そのうちの3回を観たことになる。しかも、前回は深浦佑太さんと村上義典さんがダブルキャストだったにもかかわらず、深浦バージョンを観たので、3回とも深浦「果実」。

 今回のキャストは、主人公の梳々月(るるづき)桃太郎に深浦佑太、もう一人の主人公、夏緑杏に塚本奈緒美、その父、夏緑柿右衛門に温水元、母親、夏緑柚に澤里有紀子、杏の主治医役に木村愛香音、移植コーディネーターに阿部邦彦、テレビ局AP役に相馬日奈、ドキュメンタリーカメラマン役に百餅。前回のキャストを振り返ると深浦・塚本・温水は一緒だった。このお芝居の中心人物は、梳々月・杏・柿右衛門なので、その3人が前回公演と一緒ということは、観ていても安心感がある。

 現に、3人のお芝居は実にこなれていて、最初からお芝居に引き込まれてしまった。前回から4年の歳月が過ぎたが、それだけ役者さんも年齢を重ねているわけで、それがお芝居の奥深さを演出しているように感じた。マチネであるにもかかわらず、不覚にも途中で涙が出てしまった。
 深浦さんのあの語り口は、何ともいえない味わいがあるので好きだなぁ。塚本さんも4つ年を重ねたわけだが、前回より透明感が増し魅力的だった。温水さんは、前回以上に爆裂していたような。しかし、はしゃぎまくる姿が単なる道化ではなく、そこはかとない寂しさを醸し出していたが、これも温水さんが経験してきた4年間の生き方が反映されていたように思う。

 そして、3人以外にとくに良かったのが母親役の澤里さん。自然なセリフ回しとお芝居は最高だった。物語の最後の方で、杏の移植を中止するよう夫に語りかけるセリフと所作は、ストーリーそのものを転換するという意味で大事な場面だが、ここでの澤里さんの演技は複雑な心の動きを見事に体現していた。

 素人目で見て、お芝居はどれだけ感情移入できるかがひとつの鍵だと思う。そういった意味で、今回の「果実」は、前回以上の出来だったように思う。
 そういえば、前回は気付かなかったが、演出家の得意とするのがシェークスピアだからこそロミオとジュリエットが題材として使われていたということに気付き、思わず「そうだったか」と納得した。同じ劇団のお芝居を何度も観るというのは、こういった新しい気付きをもたらしてくれる。
 「存在の不在」という言葉が何度か繰り返されるが、この何とも哲学チックな表現は、杏のお芝居での立ち位置を説明するには、しごくもっともな表現だということにも気付かされた。同じお芝居を何度も観るのも悪くない。

上演時間:1時間37分
2020年8月15日14時
サンピアザ劇場にて

惑いすぎな二人が愛しくなる。弦巻楽団#35『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』

・舞台が寝室というのが、良かった。昼の服(公)を脱いで、パジャマ(私)に着替える場所。心がゆるんで、ついつい昼間は言わないことまで言っちゃう場所。言わなくてもいいことまで言っちゃう場所。最適。

・日常は、小さなエピソードの積み重ねだなと思う。夫婦の天窓の話、手のケガ、元カノにまつわるアレコレ等。時が経てば全部、眠る前の四方山話になるように、今日の話もいつか「離婚調停ってさー」みたいな、どちらかの雑談ネタになるのかな。なるだろうな。

・貞九郎みたいに一見デリカシーなく他人の事情に踏み込んでくるけど、憎めない人とか。大和みたいに頑固でなかなか他人に本音を言えないけど、弱ると駄々洩れになる人とか。「いるいる、こういう人」と妙に共感。四十男の二人暮らしが、本当にこんな男子校みたいなノリなのかは知りませんが、不惑のくせに惑いすぎだろこのアラフォー達。意外と楽しそうで羨ましいぞ。でも毎晩五月蠅そうだから、隣とかに住んでいたら嫌だな(笑)

・「裏切り者」と「ありがとう」のエピソードは、絶対後から来ると思っていた!人から影響を受けながら、ほんの少し自分が変化するのって楽しいよね。いいねー。と、最後はニマニマしながら見守ってしまう。

・そう、なんか見守っちゃう魅力のある二人だった。役者さんが観てて違和感なく演じていた点も大きいのかな。しばらく深浦さんは大和に、村上さんは貞九郎に見えてしまいそう…。お二人も良かったのですが、他のキャスト(もうちょいオジさん希望)でもぜひ観てみたい。

そんなことをポツポツ思いながら観た1時間半。結構ずっと笑っていた気がする。

再演するのが、もう既に楽しみな作品を観ることが出来た。2020年、幸先よさそう。

2020年1月18日(土)14:00- サンピアザ劇場

大人の笑いを堪能 弦巻楽団#35『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』

ステージ上にはベッドがふたつ。マンションの寝室といった舞台美術。
そこに住んでいるのは古川大和41歳。妻とは別居中。そして居候の框貞九郎39歳、独身。寝室の中でのふたりの会話で物語は進む。エピソードとして語られるのは、古川大和の仕事先の出来事、貞九郎が大和に紹介した女性のこと、そして離婚調停のこと。
 
『二人芝居で90分は長いかな』と思っていたが、テンポの良い展開だったので、時間の長さは感じなかった。もちろん、二人の役者さん、つまり深浦佑太(古川大和役)と村上義典(框貞九郎役)という弦巻楽団ではおなじみの二人だからこそ、時間を感じさせなかったともいえる。深浦さんも村上さんもいい演技してたなあ。
 
このお芝居は、大きく分けると前半と後半とで違った様相を示していた。
前半は貞九郎が大和と同居している理由、大和が勤務するホテルで金庫を移動中に両手を挟んでしまい、しばらく両手が使えなくなったときのこと、そして貞九郎が大和に紹介した女性が貞九郎の元カノで大和が激怒すること、また、貞九郎が付き合っている女性から借金していて、その返済資金を大和に工面してもらうことなど、二人の日常が語られる。
後半は、一転して、大和のもとを離れ、別の男性と暮らし始めた妻が離婚調停に持ち込んだことによる大和の心情と、離婚調停に準備する二人の姿が描かれる。離婚届にサインしない大和。一度は裁判所に呼ばれながら行かなかった大和。その理由は大和の一途な思い。「きっぱり別れるべき」と意見する貞九郎と衝突し、一度は貞九郎を追い出すも、やっぱり呼び戻してしまうという、揺れる男心が描かれる。
 
どちらが好きかといえば前半。いくつかの出来事で展開される前半は、語られるエピソードも面白かったし、息の合った二人の会話のやりとりも面白かった。声を出して大声で笑うのではなく、じんわりとこみ上げてくるおかしさ。まさに大人の笑いだ。後半も、離婚調停の準備のため、貞九郎が調停員役となって大和に質問するくだりは、たしかに笑いを誘った。しかし大和と貞九郎が意見の不一致でけんかをし、大和が貞九郎を追い出した後に、ベッドに伏して大声で泣いてしまう演出はどうなのだろう。いや、もっと前、大和が貞九郎を追い出す場面が本当に必要だったのだろうか。もちろん、大和が貞九郎の存在をどれほど大事に思っているかを表現する方法として「泣く」という演出は理解できる。この場面が大団円につながるので、ドラマチックに展開するためには仕方なかったとも思う。結局貞九郎が戻ってきて、ベッドに横たわり、二人で天窓から星を見るという、静かな終わり方をするためにも二人の「大げんか」は必要だったのかもしれない。
しかし、二人の日常を、会話を通して描き、離婚調停という非日常を描くだけでも十分に楽しめる内容であったと思うのだが…。
 
とはいえ、大人の笑いを十分に堪能できるお芝居であったことは間違いない。脚本の面白さとそれを十分に生かすことができる役者さんのお芝居を、新年最初に観劇できたのはラッキーであった。
 
 
弦巻楽団#35『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(脚本・演出:弦巻啓太) 
2020年1月20日(月)19時30分
上演時間:90分
サンピアザ劇場にて

二度目でも笑って胸キュン 弦巻楽団#34『ユー・キャント・ハリー・ラブ!

 このお芝居は昨年2月、教育文化会館小ホールで観劇しているので2度目である。1年半ぶりとなるが、劇団としては6回目の公演らしい。
 シェイクスピアを専門にする大学教授、奥坂雄三郎に永井秀樹(青年団)、コミュニティFMの気象予報士・DJの冬樹里絵に岩杉夏(ディリバレー・ダイバーズ)、雑誌『セロリ通信』の編集長である沓掛あかねに小林なるみ(劇団回帰線)、奥坂の助手である鹿鳴のり子に柴田知佳、研究生、堺鶴男に遠藤洋平。役者さんは前回と同じだったので、全員の息がピッタリだった。
 前回は教文小ホールで、少し離れたところから観たが、今回は前列4列目と、いわば「かぶりつき」の座席(全席指定)。役者さんの細かい表情が見えて臨場感抜群。ストーリーが分かっていてものっけからのめり込んでしまった。
 圧巻は冬樹里絵が奥坂教授の研究室でシェイクスピアの特別講義を受ける場面。それまで「ロミオとジュリエットなど駄作だ」と主張していた奥坂教授が、何とか冬樹里絵に自分の方を向いて欲しいと願い、強引な解釈を押しつける場面。シェイクスピアの恋愛ものを否定し続けた奥坂教授。「なぜロミオは死を選んだのか」という質問を冬樹に発する。「愛のため」という冬樹の回答に「それは違う!親切心だったのだ」とのたまう奥坂教授。「愛は死んでも親切は死なない」などと、屁理屈を押しつける。観ているこちらが思わず「おいおいおい」とツッコミを入れたくなる。
 ドタバタとした中での奥坂教授の最後の一言に思わず胸キュンである。 台詞も演技も間の取り方もかみ合っていた。 純情っていいよなぁ。
 前回も感じたが、6つのシーンをコンパクトに展開し、無駄を排した展開は小気味よさを感じさせてくれた。BGで挿入されるジャズも心地よかった。
 真ん中にシェイクスピアの肖像画が配された舞台装置も教文と一緒。むしろ、実際にも大学の研究室はそれほど大きくないので、サンピアザ劇場の舞台サイズにピッタリだったように感じた。
 やや残念だったことは、終演後に振り向くと、座席の後ろ側が空席が多かった。マチネということもあったのだろうが、教文では300席が満席だったことを思うと残念だった。
 この芝居、9月26日は帯広市民文化ホールで上演した(はず)。10月4日から7日までは東京こまばアゴラ劇場で上演するという。札幌の劇団によるこんなにステキな作品を、札幌以外の皆さんにぜひ観て欲しい。

2019年9月22日14時 サンピアザ劇場
上演時間:95分

疾走するセカイノオワリ 弦巻楽団『ワンダー☆ランド』

上演時間2時間超、人物50人超、シーン数40にもおよぶ大群像劇!初演はなんと、16年前。弦巻楽団を主宰する弦巻啓太が代表をしていたヒステリック・エンドの最終公演として上演した芝居だそうだ。安倍総理だのトランプ大統領だの2019年的アレンジはあるけれど、ほとんど台詞はさわっていない感じがあって、近頃使わなくなった言葉を使えば、めっちゃイケてる、ハチャメチャ、とってもやんちゃでキュートなお芝居だった。
札幌演劇シーズンの公式リフレットには上演時間2時間10分とある。僕は2時間と聞いただけでもげんなりする。嘘でもいいから1時間50分と書いてほしい。かなり覚悟して腹をくくって観に行ったのだけれど、劇のドライブ感にうまく乗せられて全然長くは感じなかった。27歳だった弦巻の劇作家としての才気を十分感じることができる。何より札幌の演劇シーンをひっぱっている実力派、個性派、曲者、そして新星たちがコンカリーニョの小屋に一堂に会しているのが実に快感!本あっての芝居だといつもは思うけれど、この芝居を当時の役者年齢を揃えても単なるドタバタに終わったかもしれない。人物の多さも大きな理由だと思うけれど、再演に16年必要だったのにはちゃんと理由があったのだ。凄い役者力にも注目!
ストリーラインは実にシンプルだ。「世界が終わる」話。この言葉だけでもかなりナラティブですよね。せかいのおわり、セカイノオワリ、SEKAI NO OWARI(この4ピースバンドは海外公演では、End of the Worldというバンド名を使っているそうです)。物語は結構なピースに分かれている。タイトルロールの17歳、白鳥ゼロ(d-sapでお世話になっています佐久間泉真。初演はトランク機械シアターの立川佳吾。どうもゼロ役は少しジュノン系美男子のようだ)が既婚18歳年上のお弁当売り(塚本奈緒美)に唐突に愛の告白をして結婚してくださいと食い下がる話。妻に愛想を尽かされ三行半を突き付けられた葬儀屋(遠藤洋平)が、妻(島田彩華)への執着が昂じて唐突に世界を終わらせようとする話。その葬儀屋のある商店街では祭の出し物として浦島太郎の芝居の稽古をしているのだけれど(この劇中劇は傑作!)、電気屋の夫婦(深浦祐太、木村愛香音)が借金で首が回らなくなって夜逃げ寸前だ。閑古鳥が鳴いているイケてないラーメン屋(田村嘉規)では宝くじが趣味の妻(塩谷舞)がなんと5,000万円を当ててしまった。やたら芝居を仕切っている演出のはんこ屋(長流3平)はとうとう本をほぼ改ざんした挙句、織姫役を自分でやっちゃって、制作担当の薬屋(柳田裕実)がブチ切れまくる話。白鳥のいる高校では、性欲が可視化されて女性がすべて下着姿に見えてしまう奇病(?)に取りつかれた実はおっぱい帝王の教師(村上義典)がいて、その帝王にお色気たっぷりの同僚教師(成田愛花。成田はすごかったです)が俄然アタックする。一方、女子高校生たち(相馬日奈、斉藤法華、吉井裕香)に陰湿ないじめを受けているイケてない教師(岩波岳洋)もいて、この話はシリアス。そして恋人のミキティ(鈴山あおい)を北朝鮮の工作員に拉致られたパンクなロッケンローラー(井上嵩之)の純愛話。この話は結構ひっぱります。祭の当日打ち上げられる特殊な燃料を積んだ有人ロケット(16年前の虚構が今やホリエモンが投資する大樹町の夢、インターステラーテクノロジズになっているのだから、演劇の遠視力や大したものなのだ)を取材しにきた熱血レポーター(池江蘭)とかなりユルいテレビクルー(温水元、高橋有紀子)は、くだんの拉致事件にからんでいく。必ず犯人が断崖で罪を告白する2時間ドラマのようだ。
これ以上、書くのはやめておくけれど、一つひとつのパッセージはどちらかといえば唐突なのだけれど、「だって世界が終わるんだから」という劇的暴力でつながって、ちゃんと撒かれた伏線を回収しながら、おお、そこにマージしますか!的にからみあって衝撃のラストまでエネルギッシュに疾走する。そう、疾走。疾走感がとても心地良い。ところどころ僕のイマジナリーラインに入ってくるけれど、読めていても面白い。
とても丁寧に台詞を書く劇作家だといつも弦巻のことは思っているけれど、原稿用紙に鉛筆で息継ぎもしないで次々書きまくり、直し、しまいには役者に口立てで台詞を言わせているような熱量がある。ハッピーエンドかバッドエンドなのかは観る人によって違うのだろうけれど、僕は希望というものを世界でどう定義するのかということだと思った。希望は僕たちを救うけれど、一方で裏切られ失望させられるものとしても常に僕たちのすぐそばにある。だから明日世界が終わるとして、今日僕たちはりんごの樹を植えたりするのかもしれない。このお芝居は、弦巻の演劇への愛がいっぱい詰まっていると思う。

話は変わるけれど、シーズンの最中、あいちトリエンナーレ2019で開催された「表現の不自由展・その後」事件があった。権力を持っている人たちが個人的な感想だかなんだか知らないけれど、日本民族への侮辱だ、冒涜だ、けしからんと言ってたった3日で中止に追い込まれた。芸術監督が津田大介だったこともあって二重の衝撃だった。システムの側からの口先介入で一旦レッテルを貼られると、反日だ、非国民だと煽り、ネトウヨが群がって、世論という見えない空気を恐怖で制圧する。この劇の中では、北朝鮮による拉致というリアルポリティクスや特定の企業・宗教名、さらに安倍-トランプの政治的友情への笑えるディスりも登場する。何気なく観てしまっているけれど、とても勇気のいることだと思った。
演劇は、芝居小屋は一番表現の自由が担保されていると、テレビなんかにいる僕は尊敬している。弦巻は普段「人生で一番の最高傑作は『ワンダー☆ランド』」と言っているそうだ。表現者の最高傑作は常に最新作である。最新作にして最高傑作。いいじゃないですか!

 

2019/08/14 19:00

コンカリーニョ

札幌演劇シーズン2019-夏 弦巻楽団『ワンダー☆ランド』ゲキカン!から転載

最後に現れたものは? 弦巻楽団『ワンダー☆ランド』

今回初めて弦巻楽団を観ようと思った。それは弦巻啓太氏曰く、「生涯の最高傑作」としているからだった。
勿論お初なので、それを判定する材料をボクは何も持っていないのだが・・・。

某新興宗教をディスるディスる。
安倍総理をディスるディスる。
劇場という閉ざされた空間ではディスったもん勝ちと言わんばかりだ。

風刺は良いと思うがちょっとくどかったかな。
新興宗教のディスりとしては、昨年観た『きっとろんどん』の切れ味は良かった。
安倍総理へのディスりを観て拉致被害者、その関係者の方々は喜ぶのだろうか?
ボクにはよくわからないので、少額ながら「救う会」を支援させていただいた。

「世界は素晴らしい。君のために、僕は何度でも嘘をつく。」

親の財産を処分して用意した2千万円を生徒に騙し取られ、その生徒を殺してしまった教師に、「世界は素晴らしい」とは嘘でもボクは言えない。
愛する妻に逃げられ精神が崩壊した男に、「世界は素晴らしい」とは嘘でもボクは言えない。

北朝鮮に拉致され離れ離れになった恋人たちには、再会できたのであれば「世界は素晴らしい」と言えるだろう。たとえその後テロで死んでしまったとしても。
長時間の出産に耐え切れず母親が死んでしまっても、父親に捨てられても、愛する人と最期を共にできるなら「世界は素晴らしい」と言えるだろう。
けれど前述の二人には、とても「世界は素晴らしい」とは言えないとボクは思った。
あの状況の二人に「世界は素晴らしい」と言えるのは、この世界を、この世界の理を創った神だけだろう。

新興宗教をディスったこの作品で「世界は素晴らしい」という台詞が作品の締めくくりに心地よく劇場に響く。
その言葉を発する佐久間泉真さんが演じる高校生。この作品は一人の役者が複数の人物を演じる。
彼が「神」に見えたのはボクだけだろうか?

2019年8月11日(日)18:00
生活支援型文化施設コンカリーニョ

追伸
『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』の台本を購入しました。あれらの台詞が岩杉夏さんの口から出てきたら、そりゃ萌えるよね。

2019年最高の一作 弦巻楽団『ワンダー☆ランド』

才気あふれる若手脚本家と、人気・実力を兼ね備えた札幌を代表する演出家の夢のコラボレーションだ。

脚本家の名前は弦巻啓太。演出家の名前も同じ。偶然……なわけなくて、どちらも同じ人物。違っているのは時間。16年という月日がたっている。

弦巻楽団『ワンダー☆ランド』、初演は2003年。彼が当時所属していた「シアターユニット・ヒステリックエンド」の最終公演だ。

16年のときを超え、若くギラギラした自分の脚本を、経験を積み熟練しつつあるいま演出する気持ちはどんなだろう?

脚本家としても、同じ題材・同じ登場人物で描けと言われてもこういう風にはならないんじゃないか。

2003年に書かれたこの脚本にはただならぬエネルギーがある。前へ前へと進んでいく力がある。細部の繊細さよりも突き進んでいくパワー、むき出しの感じがある。

小澤征爾がカラヤンの教えだと言っていた。細かいところは多少合わなくても太い長い一本の線がなにより大切で、それがつまりディレクションなのだと。

ディレクションというのは指揮(演出)だけじゃなく脚本にも言える。そういった意味でこの舞台は(細部にアラがあるという意味ではなく)ひたすらクライマックスと最後のセリフに向けて猛烈に突き進んでいく。腹をすかせた物語が、物語自身を食べながら成長していくように。

結果、2時間10分にも達するこの大作が体感時間で言えば1時間にも満たないような恐るべきスピード感と忘我を生み出す。正直僕は短いとすら感じた。

弦巻演出で(少なくともこの舞台において)もっとも重要とされているのはリズムだろう。どんなセリフでも、どんな物語でもだいじなのはリズムで、なにを言ったかではなくどのように言ったか。それをとことん追究した結果、セリフがリズムを刻み、ストーリーはメロディとなり、舞台は音楽劇的様相を呈する。そうしてこのお化けみたいな一大エンターテイメントができあがった。間違いなく2019年札幌の舞台において最高の1作だろう。

演奏者たる役者たちも応えた。ひとりひとりに言及できないのが残念だが、あえてふれておくべきは、温水元、長流3平、柳田裕美だ。すべての役者がリズムを生みだしていたこの舞台において、キャラというよりもシーンのリズムをよく作れていたと思うからだ。

(ほかにも、成田愛花、池江蘭、木村愛香音、相馬日奈、深浦佑太、遠藤洋平、塚本奈緒美……岩波岳洋、伊能武生、村上義典も最高に笑えたし、井上崇之&鈴山あおい、田村嘉規&塩谷舞のコンビも最高で、佐久間泉真の純真も……ああ、書き切れない。つまりこれは弦巻楽団版アベンジャーズだと思ってもらえばけっこうだ!)

スタッフもよかった。宣伝美術・勝山修平(彗星マジック)の勢いあるフライヤー、高村由紀子の神秘的な舞台美術。スタッフワークがよければ演出もそれに応える。物語後半、演技領域が増えていくという空間演出も巧みだった。

それにしても、である。拉致、核、ミサイル、首相、ジャーナリスト……。16年前の脚本にそれらがすでに記されていたのだ。あえて僕は、このことを予言的だとは言わない。あのころからいまを予感していたのではなく、当時の問題が16年たってもまだつづいているということなんだ。

劇中、商店街の一同がおこなうのは「浦島太郎」だ。竜宮城から帰ってくると数十年(数百年?)のときがたっている。世界は変わってしまった。『ワンダー☆ランド』もまた16年の月日を経て帰ってきた。しかしこちらの方は(僕たちの現実は)驚くべきことになにも変わっていなかった。ゾッとする。

この劇は16年後、ふたたび上演されると思う。これは予言だ。そのとき、いったいなにが変わっているのか。あるいは変わっていないのか。

願わくば、この劇の最後のセリフ、あの精神は消えずに残っていてくれたらと思う。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2019年8月10日~8月17日

初出:札幌演劇シーズン2019夏「ゲキカン!」

わかりやすいキャラクター 弦巻楽団#31 1/2『冒険ものがたり「青い鳥」』

演劇『青い鳥』観ました! 『センチメンタル』を観てすごく気になる劇団さんです。
今回は原作が童話という事で全く違った感じでした。お子さんの声が聞こえていたので、もしかしたら児童向けに考えられた演出だったのでしょうか。後半に繋がりを持たせるための分かりやすいキャラクター作りを感じました。前半は大人目線ではも少し深い方が良いような気はしましたけど。。楽しかったです。妖女も分かりやすく怒鳴るキャラでしたが、同様に怒らないのに怖いキャラで大人向けの演出も見てみたいです。
また12月に作品を見に行きます。楽しみにしています。ありがとうございました。
 
 
11/23 サンピアザ劇場

投稿者:maron(50代)

弦巻楽団らしいひとひねり 弦巻楽団#31 1/2『冒険ものがたり「青い鳥」』

原作のニュアンスや味を残しつつ、現代でも劇に感情移入できるような、いい脚本、演出だったと思います。また、おじいちゃんおばあちゃん、そして、亡くなった兄弟がいる世界にそのままいてしまおうかなと迷った心の葛藤など、役の心の揺らぎがとても上手に表現されていたのが良かったと思います。よく練習したんだろうなという感じも伝わりました。また、後半の流れや作り込みは非常に凝っていたのも高評価です。

ただ、こんな風に改善できていたら良いだろうなと思ってみていたところもいくつかありました。一番気になったところは、最初の方、セリフが早くて、長いので、何を言いたいのか、聞き取れないところがあることです。一人のキャストさんがというわけではなく、全体的にそんな感じがしました。緊張していたのですかね。それも人間らしいといえばそうなのですが。

また、前半に少しずつ布石を打っておきつつ、原作に沿ったストーリーを進めて、最後あぁ、そうだったのか、と思わせ泣くやら切ないやらの感情の嵐になり伏線を回収していくような面白い作りが良かったです。
ただ、前半の方は少し、単調で後半がメインだなとわかってしまう感じで退屈してしまったので、改善するとさらに良いと思いますよー。次も期待しております。
 
 
11/23 サンピアザ劇場

投稿者:ゆう(20代)

分かりやすいから楽しめる 弦巻楽団#31 1/2『冒険ものがたり「青い鳥」』

メーテルリンクといえば『青い鳥』(これしか知らないのだが)。
不幸な身の上のチルチルとミチルが、見付けると幸せになるという青い鳥を探しに旅に出る。結局、「青い鳥」は身近にいた(あった)というこのファンタジー小説を、若い役者さんたち21名が元気に演じていた。

出演者は、速射砲のようなセリフをほぼ噛むことなく、しかも滑舌良く語りながらお芝居を進めていて、『ずいぶん練習したのだろうな』と思いつつも、舞台を観ながら心地よさを感じていた。とくにチルチル役の柾明日花さん、ミチル役の佐久間許都さん、そして魔法使いのベリリウンヌ役の田邊幸代(クラアク芸術堂)は、セリフが多く出番も多かったが、決して見る者を飽きさせない演技で好感が持てた。

また、舞台上に設置された6本の木のようなセットは、最後にはそれ自体が鳥かごのように見えてきて効果的だった。

ただひとつ気になったことを挙げれば、ラストと思わせる場面が本当のラストを入れて3回あったことだった。最終盤の暗転の使い方の難しさを感じたが、観ている側からすれば最後はスパッと終わった方が分かりやすくていいと思う。

1/2と銘打っていることから分かるように、出演の皆さんは演劇や演技の勉強をして、今回の舞台はその成果発表の場であった。同じような位置付けの演劇は以前にも観ているが(2017年11月の『リチャード三世』#28 1/2)、昨年の公演よりずっと良かった。その最大の理由は、「分かりやすい題材」を扱っているからだと思う。大作にチャレンジすることも大事だとは思うが、ストーリーが分かりやすければ、あとは出演者がどう演じるかが問題であり、そして現にうまく演じていたのだから公演の成否は題材に負うところ大である。その意味で今回の公演は成功だったといえるのではないだろうか。
こういった若い方々が演劇の魅力を強く感じて、役者として研鑽を積んでほしいと思う。

上演時間:1時間24分
サンピアザ劇場 2018年11月22日19時

投稿者:熊喰人

結論がない物語 弦巻楽団#31『センチメンタル』

弦巻楽団は昨年夏にサンピアザ劇場で受賞作『ナイトスイミング』を上演した。これが第6回サンピアザ劇場神谷演劇賞受賞作になった。今年2月には教育文化会館で『ユー・キャント・ハリー・ラブ』を上演した。そして今回は、札幌演劇シーズン2018夏の最後を飾るお芝居である。

このお芝居は1984年に妻を亡くした若い小学校教師を中心に、その後の20年間を描いた物語で、作家だった妻との関係、学校での出来事、新しい妻とその子たちとの関係が描かれる。

時任秀深(ときとう・ひでみ:深浦佑太)は、妻、時任静(成田愛花)が死んでもずっと一緒にいることを誓う。そんな中、時任が勤務する小学校に5年生と3年生の児童が転校してくる。島本由羽(しまもと・ゆう:相馬日奈)と島本真奈(木村愛香音)の姉妹である。小学校では、時任が由羽の担任、広田計曉(ひろた・かずあき:井上嵩之)が真奈の担任になる。妹の真奈は天真爛漫だが、姉の由羽は心を開かない。学年が上がるにつれ、少しずつ時任と打ち解ける由羽。その由羽が時任に対して未亡人である母、島本頼子(袖山このみ)と結婚してほしいとお願いする。静との約束を守り続けている時任は、一度は頼子との関係を断ち切る。その一方で時間が経過することで徐々に静の思い出が薄れていく時任。やがて頼子と再婚。先輩教師の五所瓦恒房(松本直人)は最初は主任教師だったが、時任が再婚する頃には教頭、そして校長になっていた。五所瓦はプライベートでも折に触れて時任を支えていた。
社会人になった由羽は会社勤めをする一方で作家として作品を発表する。その作品がある文学賞を受賞する。そのことがきっかけで、由羽の過去を調べ始める編集者、氷野(村上義典)。氷野は由羽の現在の父親の前妻が作家であったことを突き止め、静の担当編集者であった時任の古い友人、八木園子(塩谷舞)や時任に対して、静の最後の作品の原稿をくれるように依頼する。静が連載していた作品の出版社が倒産してしまい、静の原稿が時任に手渡されたことを知ったからであった。アパートの火災により焼失してしまったかに思われた原稿が八木の手から氷野に渡り、絶版になっていた作品が再出版される。時任の誕生日に由羽の本が出版され、家族4人で誕生日と出版のお祝いしようとするのだが…。

ざっとストーリーを書いてみたが、このお芝居には終わりがない。
事実、弦巻氏はリーフレットの挨拶文で「この何も投げかけてこない、結論のない『物語』は、だからこそ再演に値すると信じています。」と書いている(初演は18年前)。
お芝居の大団円は、お祝いのケーキを前にして、時任が大声で叫ぶ場面で終わる。決してハピーエンドとはいえない終わり方。大声で叫んだ意味を観客に考えさせるような演出。個人的には『ユー・キャント・ハリー・ラブ』のような、最後にストンと落ちるオチが好みだが、このお芝居では、弦巻氏は観客に「終わりの後」を考えさせることを狙ったのだろう。

弦巻楽団では「深浦押し」の私(笑)。感情表現がうまい役者さんだなと思う。大声の場面でも声が割れないのはさすが。また冷たいほどビジネスライクに徹した編集者を演じた村上さんも好感度大だった。うまい。もっともこのお芝居で深浦さんや村上さんよりいい味を出していたのは、次女を演じた木村さんと教師役の井上さん(劇団・木製ボイジャー14号)だった。暗くなりがちなストーリーの中で、この二人の掛け合いがお芝居に明るさをもたらしていた。どちらもお芝居がうまいので、あのような掛け合いでもストーリーを壊さなかったのだと思う。いい味という点では先輩教師を演じた松本さんもひょうきんな台詞や動きで笑いを誘った。

小学校教師という設定ではあり得ないことがひとつ。現在の制度では20年も同じ学校に勤務することはあり得ない(私立ならあるが)。まして五所瓦のように、ひとつの小学校で主任教師から教頭、校長になることもない(途中転出して戻ってくることはあるが)。
また、アパートの火災ですべて消失してしまった静の原稿が、後から出てくるのもしっくりこなかった。途中で時任が静に「すべて焼けてしまった」と話していたのだから(もちろん、静はイメージとして登場していたのだが)。最後の原稿が手書きだったという含みを持たせていたが、このあたりはもう一工夫必要かもしれない。

このお芝居ではセットと音楽が実に良かった。シンプルな角柱が4本だけのセットだったが、場面転換で立てたり寝かしたりして、その「場」を巧みに表現していた。場面が変わるたびに動かすのは役者さんたちにとっても大変だったかもしれない。どこにどう置くかを間違えるわけにはいかないので。またメロディラインがステキな音楽が効果的に使われていた。

早くして妻を失った夫の物語という視点で考えれば、『本当にそうなのかなぁ』と思わないでもない。いつまでも亡くなった妻の影を追い続けるというのも、めめしいといえなくもないし。こればっかりは分からない。

上演時間:1時間45分

2018年8月19日(日)14時

投稿者:熊喰人

こういう舞台は美しい 弦巻楽団『センチメンタル』

セリフの力を信じてる。そう感じた。

20年にわたる、ある男の物語。それは、ある女性の物語でもあるし、周囲にいる人たちの物語でもある。喜びや悲しみ、苦悩や希望、それらをセリフでつくりあげている。

弦巻楽団『センチメンタル』。初演は2000年だという。18年後の再演、劇場も役者も時代も違う。シナリオを、セリフをどう変えたのかわからない。だけど当時23歳の弦巻啓太が、自分の言葉で世界をつくろうとしたのがうかがえる。人をつくり世界をつくり、物語をつくる。

若さからくる自信なのか、それとも、とめどない創作意欲をあふれる言葉にぶつけたのか。それがここちよい。観客の何歩も先をいき、まだ見ぬ地平を切り開いて、どうだこの世界は、と提示してくる。みなぎる才気だ。セリフと、セリフがつくる物語への情熱がある。

その世界をつくりだす役者たちがすばらしい。いま札幌でいい役者は? と聞かれたら、yhsの櫻井保一と本作の主演・深浦佑太(プラズマダイバーズ)をあげる。

深浦は端正な演技で澄んだ弦巻脚本のよさを引き出す。うちにためているが、ある瞬間にガン! と感情を出す。その苦悩や憤(いきどお)りの中に本人すらわからない感情をも吐き出している。それがとてもよかった。

むずかしく入りこむだけで負担のかかる役だったと思うが、多くの人の賞賛によって報われると思う。

妻・静を演じた成田愛花(劇団ひまわり/あづき398)と教え子の母・頼子を演じた袖山このみ(words of hearts)の動と静、生と死の対照的な演技もよかった。

妻・静をメインとした冒頭。数分で客席から嗚咽が漏れはじめ、この感じで1時間数十分つづいたら劇場はいったいどうなってしまうんだろうと、それくらい観客の心をつかんでいた。冒頭は静謐で、神秘的ですらあった。

いっぽう人間的である頼子の物語は、この劇のあとに深みを増す。なぜなら、主役の秀深(ひでみ)の20年間を観終えたあと、これだけの喜びや苦しみ、人生の物語が、もうひとりぶん、頼子の側にもあるとわかるからだ。

妻・静と頼子の対比と書いたが、秀深と頼子も合わせ鏡になっている構成は見事だ。

脇を固めるのは主任教師・五所瓦(ごしょがわら)の松本直人、編集者で友人役の塩谷舞。味のある好演で、ここがしっかりしていないと世界が崩壊してしまう。このふたりがいることで主役のまわりに社会が形成されていた。特に塩谷舞はこの舞台の影のMVPだと思う。

村上義典は小細工ではなくストレートに編集者を演じ好感が持てた。ちなみに2年も原稿を追うあの編集は有能だ(笑)。

(あの小説は、最終回は書かれたけど雑誌に掲載されなかった、とした方がいいような気がする。雑誌に掲載されたのであれば見つかる可能性は高く、少なくとも国会図書館にはあると思うので)

同僚教師役の井上嵩之(劇団・木製ボイジャー14号)のコメディー感は暗くて悲しい話にならないための必要なピース。そっち側に引きずられずに徹底していた。

教え子の由羽を演じた相馬日奈(島田彩華とダブルキャスト)は言葉を大事にしている感が伝わった。セリフひとつひとつの意味、感情を漏らさずにハッキリ言う。その姿勢が由羽という人物と重なる。

由羽の妹・真奈はぜひ観てほしい。演じる木村愛香音の熱演もあって今作一の怪人物……という表現が適当かどうか。日本の現代史をひとりの人物でなぞるという出色のこころみだ。

演劇シーズン2018夏も本作が最終ランナー。演劇シーズンは集客もあるし、どこかお祭り気分で派手なコメディーが好まれるし、実際よくあう。本作も笑いを入れようと思えばいくらでも入れられただろう(もちろん笑いもたくさんあるのだが)。

しかし、あえて過度な笑いに走らずに描くべきものを信念を持って描いているように見えた。

最後、物語が終わって、セリフはもうない。なのにその空白に僕たちは感動をおぼえた。ひさびさに完璧なエンディングだった。いい舞台にはいいセリフがある。すると不思議なことに、セリフのない部分すらもかがやいてくる。

言葉をつらね、思いを描き、感情をつみあげることで、いまこの地、この場所、あの空間でしかなしえないものをつくりだしていた。こういう舞台を「美しい」というんだろう。

 

公演場所:サンピアザ劇場

公演期間:2018年8月18日~8月25日

初出:札幌演劇シーズン2018夏「ゲキカン!」

 

日本パートは意外とダーク 弦巻楽団『歌は自由を目指す』

弦巻楽団「歌は自由を目指す」をシアターZOOにて。風来坊の出来の悪い兄貴が堅実な暮らしをしている家族のところに帰って来るところから始まるという男はつらいよみたいな始まり方。基本的にコメディで、すったもんだあった末に、それぞれの道を見つけて……で終わると思ったら、エピローグが(笑)

コメディだけど、扱っている題材の日本パートは、田舎にありそうに見えるダークなもの。あれだけ振り回してしまった以上、ここにはいられないと言う感覚は、人間関係が壊れると途端に住みにくくなる田舎なんかの狭いコミュニティ特有のものといえるのかも。

兄貴の大ボラと思われていた事が、実家でその頃起きていた事を見ると、実は本当のことらしいと判らせていくあたりも面白い。その事を兄は知らず、弟も気がついていないようだけど、双方が知ったら、関係がどんな感じに変化するんだろ。あまり変わらないかな。

最初は兄と弟が逆かなとも思ったけど、兄の調子の良さや憎めなさの出し方は遠藤さんならでは。何かを押し殺して堅実に生きようとしている深浦さんも、話し方の節々から想いが垣間見える感じ。ほとんどの人が二役以上だったけど、それを活かしたネタもあり面白かった。

  • 2018/06/16 14:00
  • シアターZOO

かかってこい、物語。 弦巻楽団『歌は自由を目指す』

娘と家族になったのは、彼女が8歳の頃だった。私と夫の結婚を後押ししたのも彼女だ。勝負事じゃないのはわかっているけれど、我が家にだって物語に負けないホームドラマがある。余程の物語でなければ跳ね返してしまいそうだ。

ある一編の詩の意味を追い求め、10年間ミュージシャンとして世界中を飛び回っていたお調子者の長男・ヤマト。そんな兄を疎ましく思いながら地元に残り、実家の漬物屋を継ぎ苦労する次男・カクマ。舞台はこの二人の関係性に焦点を当て、物語は動き始める。
とにかくテンポが良く、鮮やかな場面転換が印象的な舞台だった。縦横無尽に役が入れ替わり、役者は生き生きと舞台の上で躍動する。ヤマトの波瀾万丈の旅物語が再現される度に、娘はケラケラとよく笑った。一方で、カクマの葛藤が垣間見えるシリアスなシーンでは真剣に見入っていた。その落差をやけにスペクタクルに感じたようで、見終わった後には妙にスッキリした顔で伸びをしていた。大人がじんわり染み入るような内容かと思っていたのだけど、小学校高学年の娘にも十二分に楽しめる内容になっていた。

家族はどうやって作られるのだろう、とぼんやりと思った。私が今一緒に暮らしている家族には、私と血の繋がっている人間は誰もいない。それでも、朝が弱い私のために夫は朝食の準備をするし、私は、娘のランドセルの中が今日もグチャグチャなことを見ないふりしながら学校へ送り出す。「今日の給食うどんだったんだけど」と言いながらも、娘は残さず夕飯の煮麺を食べる。こんな私たちは間違いなく家族なのだけど、もう少し緩やかな毛糸のような紐で繋がれている感じだ。

それに比べて、自営業だからか、土地柄か、それとも彼らの性格がそうさせるのか。ヤマトもカクマも、そして彼らの妹のつくしも、家族という鎖に捕らわれた小鳥のようだった。もどかしかった。家族というのは、こんなにも堅牢な檻のような存在で互いが互いを見張るような繋がりなのか。いや違う、もっと自由でありたい。
「じ・ゆ・う」、と思わず口に出してしまった。そう、この舞台は兄弟3人それぞれが、責任という名の元に向き合うの恐れていた自由と、ついに出会う物語だ。使命から、家族から、自由になる。本当の責任を脇に抱え、自立した一人の人間として生きる。そしてそれは同時に、他者の、兄弟の自由を支え応援することでもある。そういった意味で、彼らはついに本当の家族として関係性を結ぶことができたのだろう。

じゃあ私たちは。観劇の帰り、喫茶店でチョコレートパフェを頬張る娘を見ていた。私たちは本当の家族なんだろうか。思春期に差し掛かった娘がそうやって思い悩む日が来るのだろうか。そんな思いはさせたくないという私のこの気持ちは、親として当たり前のことなのだろうか。
家族の責任とは、自由とは。娘がもう少し成長したら私たちも向き合わなければならないテーマだろう。その時に、私たちのホームドラマはまた新たな山場を迎えて動き出す。そんなことを考えさせられる舞台だった。
勝負事じゃないのはわかっているけれど。かかってこい、物語。我が家のホームドラマだってきっと波瀾万丈。優しく受け止めて生きていくよ。
 
 
6月16日14:00 シアターZOOにて

投稿者:百物気